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2017年4月 7日 (金)

島根県は見どころが多い地域だと改めて認識

Dsc03788 昨日、中国五県の旅行から帰ってきた。仕事や学生時代に行った場所もある。しかし、記憶を辿っても当時のことを全く覚えていない。そのためか、初めて行ったのと同じような新鮮味があった。特に、ペンネームとして拝借している石見地方は、愚生には特別な思いがあった。石見銀山付近のバス停には、石見交通とある。石見交通は、島根県西部(石見地方)を中心に路線バスを運行する会社だ。愚生の片思いだろうが、親近感と少しばかりの恥らいを感じた。ところで、島根県は出雲大社のある出雲地方と世界遺産に登録された銀山があった石見地方からなる。出雲の大国主神は、古事記によれば国譲りの神だ。「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べて、国を譲ったという。不思議なことに、出雲大社は西を向いて造られている。実際は、神話のような平和な国譲りが行われたのではなく、大国主神は戦って敗け自殺したか、あるいは処刑された。そして、その怨霊を鎮めるために造られたという説もある。昔のことであっても、何か理由はあるのだろうが、今となっては分からない。また、出雲大社の説明員の話しでは、能の発祥は出雲大社の巫女が京都で舞ったのが始まりだと言っていた。一方、能の源流は当時大陸から渡ってきた散楽と言われる。散楽が日本風に猿楽と呼ばれるようになり、のちの狂言へと発展した。観阿弥や息子の世阿弥などは、幕府お抱えの身分だったようだ。能役者たちは江戸幕府や大名に能の担い手として厚い保護を受けていた。そのせいもあってか、明治維新により武士が没落して禄がもらえなくなると、能役者たちは失職した。小さい頃、曽祖母から愚生の先祖も、それが原因で能役者を廃業したと聞かされた。実際のところ、真偽など不明だ。どうであったとしても、愚生の食い扶持が増えるわけではないので関係はない。ただ、少なからず縁だけはあるような気がする。その他、島根県には日本庭園ランキングで、初回の2003年から2016年まで、14年連続で庭園日本一に選出されている足立美術館。天守が国宝に指定された松江城もあり、見どころが多い県だと改めて認識させられた。ただ、質素倹約を旨とする愚生には、もう一度行く機会はないような気がする。

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