馬鹿は死ななければ治らない
昨日は、学生時代の友人との飲み会だった。過去にも酒を飲んで、口論になることは多かった。そして、次の日は不快な気持ちで過ごす。いくら失敗を積み重ねても、賢くなることはないようだ。酒を飲んで口論して不愉快になるようなら、何のために集まったのかよくわからない。学習効果が全くない。大学時代も、勤め人時代も、そして、今もそうだ。馬鹿は死ななければ治らないというが、当に愚生のことだと自覚する。やはり、酒は仲の良い友人と飲むのに限る。愚生の欠点を知り抜いた友人でなければ、飲んでも癒しにはならない。どうも、愚生が嫌われたせいか、今度は愚生抜きで飲み会をするとのことだ。愚生は、一向にかまわないが実現したためしはない。なぜなら、愚生以外に幹事を引き受けて他人の面倒を見る人がいないからだ。過去もそうだった。愚生抜きでと発言した友人には抜けてもらったメンバーで飲むことになる。その前に、来年は研究室の飲み会を止めようと思う。また、飲みたくなったら飲めばよい。どうも、殺伐とした勤め人時代を過ごした愚生には、緩慢な考え方は我慢ならない。昔から人に嫌われることが得意だったが、三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。自分自身を、辞めたいと思うが難しい。自殺をする人はそういう類の人かと考えてしまう。ところで、来月の飲み会は大学時代のサークルの飲み会だ。彼らは愚生のことをよく知っているので口論にはならないと安心している。最近は、酒を飲んでいないせいか、酔いが回るのがやたら早くなった。いつまで、生きられることだろうか。
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