自分の身の丈に合う生活
人が老後をどう過ごすかは、人生において重要なことだと思う。小さい頃から、学校に行かされテストに追いまくられた。大学に入って、親から離れてやっと自身の自由が満喫できた。一方で、親から離れた見返りに将来への不安が横切った。生まれ故郷を離れ、地縁も血縁もない場所に居を構えたから、自由の代償は大きかった。友人作りも一からやり直しだったが、愚生の過去を知られない分だけ、しがらみに囚われなかった。その四年間も過ぎ、就職・結婚・勤め人を終え老後に入った。特許関連の会社のお祝いで、勤め人時代の先輩が、自分は356連休だと寂しそうに語ったのを聞いた。学生時代や勤め人時代には、休日が本当に嬉しかった。その休日が毎日与えられると、逆に自分の居場所を見つけられない人もいるようだ。愚生も勤め人時代のトラウマからか、緊張感のない日々は苦痛を覚える。何かに取り組む自分を見つけなければと問い直す。ただ、共感しあえない相手との付き合いは、勤め人時代も含めて苦痛の種だ。いまさら、教会や町内会の集まりなどには入りたくない。そう思うと、自然とパソコンの前に座り、自分一人のバーチャルな世界で過ごす。もちろん、バーチャルと言っても、ブログの世界だけで、株の売買などは現実そのものだ。時間がある分だけ、ニューヨーク市場の海外取引も可能になった。いまさら、お金儲けであくせくはしたくはない。しかし、やるからにはギャンブルと同じで勝ちたいと思う。儲けたら旅行に行こうと言いながら、結果はいつも貯えを取り崩して行くことになる。貧乏は貝を分けると書く。計画性を持って、身の丈に合った生活をすれば、平和な日本では普通に過ごすことができる。散見すれば、無理をして窮屈な老後生活を送っている人もいる。自分の見栄や誇りを持つことは大切だ。しかし、終焉が近い老人のことなど周囲の人は興味を持たない。自分に言い聞かせてきたことを息子にもよくいう。人より良い生活をしようなどと思わないで、自分の身の丈に合う生活をしろと。
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