8月になると何かもの物悲しい
今日から8月。学生時代は、8月になると何かもの物悲しい気分だった。夏休みもあと一月、お盆を過ぎれば残りの休みを指折り数えていた。ただし、遊学をしていた大学時代だけは、自由奔放に遊び廻れたため例外だ。母親が帰省しろと煩く言うので、数日間は郷里の実家に戻った。しかし、その間も閉塞感で苦痛だった。そのせいか、大学時代の夏休みがそれ程ありがたいとは思わなかった。しかし、学生の特権というか、アルバイト先で稼いだお金で、時間が許す限り旅行などをした。その間も、いつも将来に対する漠然とした不安が、自分の心の中にあった。工学部の学生だった愚生は、企業への就職ということが、常に頭から離れなかった。大学時代に享楽に耽って、働き始めるスタート台に立てない人もいる。将来の目的をはっきり持ってないと「学生の本分は勉強」という事を忘れてしまう。学部を8年間もかけて卒業して、如何わしいアルバイト先の業界に入ったという人もいた。それなら、大学の学位など取る必要はない。また、入学した解放感から、授業をサボりほうけて、卒業見込みが立たずに退学した人もいる。いずれにせよ、その人にとって何が良いか判らないことも多いから、それも人生なのだろう。皇室に入った雅子妃などを見ていて、つくづく何のためのキャリアだったのかと同情する。愚生の勤め人時代、芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタが蜘蛛の糸をよじ登るような世界だった。しかし、傍から見れば、平々凡々の人生に見えたかもしれない。ところで、愚生の頃は、企業の青田刈りが禁止の時代だった。そして、オイルショックで就職の氷河時代だ。4年生時の8月とは、就職試験開始の直前の頃だ。当時はクーラーもない時代だった。暑さ凌ぎに、夜から朝にかけての長い時間、就職試験問題を解いた記憶がある。今から思いだせば、若い頃はいつも何らかの葛藤があった。それなりに大変だった気もする。一方、賞味期限が切れかかった今は、抑圧から完全に解放された。というより、叶わない欲望を捨てたというほうが正しい。あと、何年生きられるのだろう。夏休みの残り日数を数えるのとは別の意味で物悲しい。
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