喜怒哀楽の感情は受ける側の微分値
ブログを書こうと、パソコン前のバーバーチェアのような椅子に座っていると、睡魔が襲ってきた。別段、何かしなければならないことはない。猫のトイレの砂も取り替えたしと思いながら、小一時間ばかり寝てしまった。受験生時代に、眠いのを我慢していた頃を思い出せば、つい藤原道長が読んだ「この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることも なしと思へば」という詩が頭に浮かぶ。この詩の解釈はいろいろあるようだ。とりあえず「月の満ち欠けさえも自分に掛かれば意のままになる。」という驕った説にしよう。当時、権力者の頂点に立つ道長は、紫式部をはじめ当時の一流の女性たちにモテたであろう。そして、光源氏のモデルだったとも言われている。詩を詠んだのは、酒席での座興のアドリブだったといわれている。そうであれば、推敲しつくした詩ではなく、深い意味はないのかもしれない。愚生のような凡人には、縁のない境地だったことに違いはない。ただ、人生において、喜怒哀楽の感情は受ける側の微分値だと考えれば、何かあるかもしれない。道長の何万分の一でも良いから、詩のような境地があっただろうか。そう思いなおして、愚生の人生を思いめぐらせば、短い期間だったが一度や二度はあったような気もする。小職の愚生が、思いもよらず大成功したときなどが、それかもしれない。また、スケールは違うが、望んでいたポストに就いた時かもしれない。人生で日の当たった時を思い出すと、何かホットして安心する。ただ、今の愚生にとっての道長の心境は、寝過ごしたとしても何も困らないことくらいだ。簡単に得られる欲求で満足できる愚生は、幸せ者かもしれない。そう思うと、稲田朋美や豊田真由子の恥を恥とも感じない感受性に同情する。
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