最後の訪問だと思って旅情を味う
来週は1週間程度の九州旅行のためブログを休むつもりだ。旅行先で書こうと思えば、できないことはない。しかし、そこまでして必要なことではないことは、自分で重々承知している。足腰が立つうちにと、夫婦で東京から遠い地域を優先して旅行している。昨年は、北海道に2回、今年は春先に山陽・山陰地方を旅行した。北海道は商用では何回か訪れた。阿寒湖なども仕事の合間に行った記憶がある。しかし、旅行と違って仕事が中心となるため、訪問先の風情などの記憶は薄い。当たり前だが、商用で訪れた場合は、夜も仕事先の接待もある。とても、旅行気分にはなれない。勤め人を辞めてからは、出張ということはない。だから、最近はこれが最後の訪問だと思って旅情を味わっている。愚生などは、人生の大半は東京在住だった。しかし、東京タワーに上ったのは、高校二年生の時に友人と東京見物に行った時だけだ。東京タワーだけではない。東京ディズニーランドや東京スカイツリーにも入ったことはない。そういう愚生も、フロリダのエプコット (Epcot)へは行ったことがあるから不思議だ。愚生の生まれ故郷の立山・黒部アルペンルートも、数年前に行ったのが初めてだ。冠婚葬祭や帰省で、何度も富山には行った。しかし、夏の林間学校で立山、黒部第四ダムは親父の関係で完成直後に行ったきりだ。そういえば、愚生の勤務先だった製造工場は明石市にあった。そのため、妻から明石原人と呼ばれるくらい明石工場に出張した。ただ、目と鼻の先だった淡路島へは足が向かなかった。今から思うと悔やまれる。その一方で、出張中に休日をホテルで過ごすことになれば、時間を潰すのが大変だ。オーストリアやドイツのような文化遺跡が多い欧州なら訪問先は多い。しかし、カリフォルニアのシリコンバレーなど沙漠の中にできた都市だ。人種のるつぼのような場所で、プライベートで地域と全くかかわりを持たない日本人が時間を潰すのは辛い。都合よく似非クリスチャンだった愚生は、この時ばかりは日系プロテスタント教会で現地の日系米国人との交わりを持った。そのせいだろうか、米国社会の複雑さを垣間見た気がした。一世は日本を話すが、二世三世となると英語しか話せない。彼らが、どのようにしてアイデンティティを持って地域に溶け込んでいるのか興味深かった。そして、米国ではキリスト教会が、それぞれの人種のコミュニティだと痛感させられた。仕事場で一緒であっても、プライベートで付き合うことは人種間ではない。イタリア系マフィアなど、暴力団に在日朝鮮人が多くを占めるのと同様だったのだろう。ただ、近年は日本人が1世として米国に移民するケースは少ない。そのせいだろうか、高学歴者が多くトランプ政権を支持するプアーホワイトのような下層階級は少ない。階級社会や人種間の葛藤は根深いが、日系人が話題になることは少ないようだ。
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