生きていくには施設しかない
最近、認知症の老人介護の話しを聞くことが多い。認知症だから、必ずしも病人が悪いわけではない。そういえば「地裁が泣いた悲しい事件」を思い出す。母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護される。長男は仕事を休職して介護にあたった。その後、母親の症状がさらに進み、止む無く退職。母親の介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、カードローンを利用してもアパートの家賃などが払えなくなった。長男は母親との心中を考えるようになる。そして、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入し、母親との最後の食事を済ませた。長男は、母親の首を絞めるなどして殺害した。自分も包丁で自らを切りつけて、木で首を吊ろうとしたが命を取り留めた。京都地裁は、情状酌量して長男に懲役2年6月、執行猶予3年とした。この裁判では、裁判官や刑務官までもが貰い涙を流した。判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。判決後に、長男は琵琶湖大橋から身を投げたという。厚労省によると、要介護(要支援)認定者数は620万人もいるという。愚生の周りを見渡せば、義母が介護2で愚母が支援2に認定されている。いずれも、介護施設に入居している。歳を重ねると「亀の甲より年の功」などという諺もある。つまり、年長者の豊富な経験は貴重であり、尊重すべきものだという意味だ。しかし、現実には身近な高齢者の「子供返り」(わがままな言動・妄想)のほうが目立つ。こういう場合、真面な大人だと思うと接し方が判らなくなってしまう。赤ちゃんだと思えば良いのだが、可愛くもないし自己主張が強いだけの身勝手な老人だ。認知症高齢者への接し方は、教え込もうと説得しても効果はない。正論を説いても理解できずに混乱するだけだという。そうかと言って、施設に入ることにまで拒否されては困ってしまう。愚生の義母や愚母も、腹の底では施設になどに入りたくはないのが本心だ。しかし、他に自分の場所がないことを自覚しているからだろう。最後は厳しい言い方だが、長生きしたいなら施設しかないと本人に諦めさせることだろう。自ら死を選ぶという誉れ高い人には、効果はないが・・・
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