
日本相撲協会理事の
貴乃花親方の理事解任された。評議員会議長の池坊保子は臨時会合後に記者会見し、報告義務を怠り、調査協力要請を拒否し「公益法人の役員として、およそ考えられない行為。その言動で今回の問題がここまで大きくなり、長引かせることになった」と厳しく指摘した。さらに「相撲道は礼に始まって礼に終わる。多くの言動は明らかに礼を失していた」とした。「特に上司であり、先輩でもある八角理事長が何度電話をかけても全く応答がなく、折り返しの電話もないというのは著しく礼を欠いている」と非難した。そして、「決議を厳粛に受け止め、真摯に反省し、今後は協力し合い、礼を持って行動してほしい」という。次に、同席した公認会計士小西彦衛は「これまでの事実などを見て、理事として職務を果たしてもらうという点については懸念があった」と同調した。加害者側と結果的に同じ処遇となったことへの整合性を問われると、「被害者、加害者ということから離れ、巡業部長という重い地位についているのに規則などに反した」とし、暴行事件そのものとは分けて考えたと説明した。しかし、愚生には納得がいかない。まず、一方的な貴乃花親方への批判に彼らの資質を疑いたくなる。小西は「あずさ監査法人の代表社員」という肩書だ。
こんな「木を見て森を見ず」という監査法人には仕事など頼めない。今回の事件で、反対票を入れずに欠席した理事は利口だと思った。池坊は、議決に加われない。力士の理事は相撲協会に反対などできない。そう考えれば、小西一人で決めたことになる。今回の事件の発端は、日馬富士の傷害事件だ。これを相撲協会より先に警察に通報したことを問題にしている。なぜなら、「今回の問題がここまで大きくなり、長引かせることになった」と批判しているからだ。しかし、警察への通報から検察の略式起訴までの時間は、貴乃花親方が決めたわけではない。池坊の論点が正しいとするなら、警察に届けたことが悪いという事になる。小西は貴乃花親方が理事という職責を果たしていないという。刑事事件の内部告発が悪いというなら、犯罪を放置しろと言いたいのだろうか。それぞれの切り口によって、見解は分かれる。自分の論理や価値観での批判は容易だ。マタイの福音書に次の聖句がある。「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり。己がさばく審判にて己もさばかれ、己がはかる量にて己も量らるべし。何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木を認めぬか。視よ、おのが目に梁木のあるに、いかで兄弟にむかひて、汝の目より塵をとり除かせよと言ひ得んや。僞善者よ、まづ己が目より梁木をとり除け、さらば明かに見えて、兄弟の目より塵を取りのぞき得ん。」とある。たぶんこの両評議員は、聖書など読んだことがないのだろう。池坊は大学を中退した後、公明党の国会議員だった。公明党が華道の票欲しさに立てた議員だ。学歴云々はともかく、汗して働いたこともない輩だ。表舞台に出たなら田中真紀子と同じように、井戸端会議程度の資質しかないことを曝す。今回、池坊は自分の恥を曝け出しても、それが見えないようだ。多少の分別や教養があるなら、公共のメディアの前で、一代親方の貴乃花に「相撲道は礼に始まって礼に終わる。多くの言動は明らかに礼を失していた」と言うだろうか。釈迦に説法ではないか。なぜそうしたのかを考える度量はないのだろうか。傍から見ている愚生でも、恥ずかしくて穴に入りたくなる。自分が見えていない馬鹿な婆さんだと、白い目で周りが見ていることに気づかないとはあまりにも悲しい。いずれにせよ、今回のことから解ったことがある。
1.相撲協会は、刑法より興行利益を優先する。
2.評議員会議は、全く機能していない。
3.相撲協会は「内部告発制度」を全く理解していない。
愚生にいわせれば、中世の魔女狩りと同じだ。
八百長横綱の北勝海が、愚かな婆さんを使って自分の既得権を守ったとしか思えない。
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