ジャイアンツ対ホークスOB戦
巨人の宮崎キャンプ60年と南海(現ソフトバンク)の球団創立80周年を記念した「ジャイアンツ対ホークスOB戦」が昨日、サンマリンスタジアム宮崎で行われた。愚生にとってサンマリンズスタジアムといえば、昨年秋に宮崎へ旅行したせいで親近感を覚える。巨人vs南海といえば、愚生が小さかった頃の日本シリーズの定番だ。愚生は、日本プロ野球界の癌と呼ばれる巨人に立ち向かう南海ホークスファンだった。一方、昔も巨人は、巨人・大鵬・卵焼きと言われる人気球団だった。さらに、讀賣新聞中興の祖と呼ばれた正力松太郎を輩出した富山県では、県内は巨人ファン一色だった。南海ファンなど県内に指で数えるくらいしかいなかっただろう。愚生など、野球帽の南海ロゴを、スポーツ用品店の店員に説明して、手作業で作ってもらった。店員には、「どことなく巨人のロゴに似ているね」と言われた。しかし、巨人がY+G、南海がN+Hで重ねたところ以外は全く似ていない。昭和四十年代、巨人の日本シリーズ8連覇とはそういう時代だった。両軍のレジェンドを仕切ったのは、巨人・長嶋茂雄(81)、南海(ホークス)・野村克也(82)だ。巨人と言えば、王貞治氏(77)、金田正一氏(84)、張本勲の顔が並んだ。しかし、金田・国鉄(現ヤクルト)、張本・東映(現日ハム)で、彼らはキャリアの大半をよそのチームで作った外様選手だ。当時のファンは、純粋な巨人の選手とは誰も見ていない。愚生の好きな色、くすんだグリーンは南海のチームカラーだ。しかし、南海を背負ってきた野村克也は、南海の緑のユニホームを一式着用したのは監督を解任された1977年以来、実に41年ぶりだという。本来なら、野村の背番号19番はホークスの永久欠番であっていいはずだった。野村は、監督を解任された腹立たしさからひどく南海を嫌っていた。しかし、その解任理由は野村の身から出さ錆だ。問題の多い野村沙知代夫人(享年85)が原因だった。野村は、「南海には感謝と憎しみがあるが、楽しい時間を過ごせた。親会社が変わっても“ホークス”が残っているのはありがたいこと。ファンが喜んでくれるのならこういう企画を続けるべき」と珍しく南海ホークスに言及した。奥さんを失くしたせいで、邪気も衰えてしまったようだ。愚生も野村が選手時代は、一生懸命に彼を応援した。ただ、長嶋や王と違い、女々しく愚痴の多い性格だった野村を全面的には好きになれなかった。巨人と違い、南海はチームが二流なら、人も人格に問題の多い選手が多かった。愚生の心に残る南海選手といえば、鶴岡一人(監督)、野村克也、杉浦忠、富田勝、ジョーンズ、小池兼司、広瀬叔功、門田博光、穴吹義雄、片平晋作、大沢啓二(親分)、スタンカ、ブレイザーなどが思い浮かぶ、野村監督下でキャリアを伸ばした江本孟紀、江夏豊、柏原純一 なども記憶に残る。ところで、愚生も、つくづく巨人ファンならもっとプロ野球を楽しく見られたと後悔する。愚生の友人と言えば、卵焼きファンばかりだったせいだからだろうか。
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