身の丈にあったことで満足し、感謝する
藤原道長が詠んだ有名な一句に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という句がある。これは、朝廷内での陰湿な権力闘争の末に、道長の娘を66代天皇以降の后に着け権力を掌握した。その結果、敵のいなくなった道長が自分の気持ちをストレートに表現した句だといわれる。しかし、こういう心境に着ける人は稀だろう。ほとんどの人は、何かにつけて不満を持つ。過去の自分と比べて。あるいは羨むような知人との比較からかもしれない。いずれにしろ、感謝の気持ちがなければ人の強欲は抑えようがない。得られたものを前提に、また何かを欲すれば、何時まで経っても欲求は収まらない。帝国主義時代の領土拡張競争も同様な理屈かもしれない。与えられた物を、正しく評価できるのは、それを失った時だけかもしれない。失って初めてその価値というか、有難さが身に染みる。健康もそうだろうし、平和もそうだ。愚生の友人からも、愚痴を聞かされることがある。それは、定年を控えて、職種転換を強いられたことからの不満だった。確かに、愚痴る友人の気持ちは解る。しかし、会社にしがみ付かないで決別しさえすれば、その悩みは解消するはずだ。彼の悩みは、会社を辞めないで留まろうとするからの不満だ。愚生の母も長生きして、友人がいなくなったことを嘆く。戦前教育を受けた母は、生きたいのに若くして死んでいった人を多数知っているはずだ。両方くれと言うのは、贅沢だと窘める。そういう愚生も自己実現ができると、また次を目指す。過去を振り返って、雌伏した時と比べれば今は極楽浄土の心境かもしれない。身の丈にあったことで満足し、感謝する気持ちがなければ、修羅界や飢餓界からは永遠に逃れられない。人は、上手くいくと増長してハードルを上げてしまう。愚生も抑止が効かなければ、また元の木阿弥だということを肝に銘じて過ごしたいものだ。
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