長く生き過ぎることも厄介なことだ。
昨日は、親戚の葬式があった。愚生よりも、6歳も年下だと言われると、明日は我が身と言う気がする。まだ若い娘を残して死にゆく母親の気持ちとは、どういうものなのだろうか。88歳になる実母の米寿祝を行う前日に息を引き取った。14歳で若く先だった兄も、9月14日が命日だと言うから、なにか因縁めいたものが感じられる。ただ、順序が逆になって、一人残された老婆の気持ちは量りようもない。ところで、その葬式に参列した、坊主(浄土真宗東本願寺)と鎌倉仏教とキリスト教について、話す機会があった。会話というか、愚生がハイボールを飲みながら一方的に知見を喋りまくっていたようだ。周りからは、顰蹙を買っていたと後に愚妻から聞いた。どうも酒を飲むと、元気が出て、誰構わずに話して鬱積を発散している。他人には迷惑だろうが、愚生の健康にはすこぶる好都合だ。介護施設に入居している義母も参列していたが、本人は何でもできると思ってやりたがる。しかし、周りは傍迷惑をする。年老いてボケが入ると思うと悲しくなる。介護施設で、快適なのかと思いきや、洗濯や家事をしなくなったので、ボケが進んだと恨み言をいう。ボケが進んだから、介護施設に入ったとは思っていないようだ。愚生の実母などは、「こんな牢屋みたいなところには居られない」と怒っていると聞いている。そして、病院に入院したいと言うが、健康保険で介護などできないことが解らないようだ。老人たちは、自分が一体いくら公費を使っているか考えたこともない。そのくせ、不満ばかりが口を突く。いい加減にしろと言いたい。若くして死ぬのも辛いが、長生きして胡散臭い目で見られるのも閉口だ。死ぬことも大変だが、長く生き過ぎることも厄介なことだ。今回、何年かぶりに、実の親兄弟が住まなくなった田舎に帰った。目新しいものと言えば、朝早くホテルの部室から見た、LRTの軌道が印象的だった。
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