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2018年9月24日 (月)

明日は、我が身かと教えられる。

昨晩は、久しぶりに新宿で大学時代の友人と三人で飲んだ。勤め人を辞めた愚生には、サラリーマン恒例の夜の付き合いはない。そう言う意味では、非常に楽しかった。ただ、良し悪しは兎も角、連れの友人と違い酒がめっぽう弱くなった。一人の友人は、土曜日が出勤で忙しいとのことで、珍しく日曜日の飲み会となった。友人からは勤務先の「●●屋」のパンフレットと●●部長という肩書の名刺をもらった。彼のカミさんも、退職後、薬剤師の資格でドラックストアに勤務とのことだった。今は、子供が家を出た後なので、夫婦二人のDINKSだそうだ。そういう訳で、キャシュフローは潤沢だろう。しかし、年老いての通勤など、あまり羨ましいとは思わなかった。午前11時半に新宿に集まり、新宿西口の小便横丁(思い出広場)で客層の悪い中で飲み始めた。二軒目は、全く覚えていない。三件目は、好き物の友人が音頭をとって若い女性のいる店に行った。当初、もう一人の友人が、安く上げようと言うので小便横丁に行った。しかし、結局、箱根に一泊して飲むより高くついた。彼らにとっては、日常のことなのだろう。しかし、サラリーマンでない愚生は、何年かぶりだった。飲みながら、参加しなかった友人にも電話をかけた。ただ、休日の夕方は皆さん忙しいようで、あまり繋がらなかった。また、便りによると意外に近くに住んで居る人もいて、驚きだった。以前、何人かの連絡がつかない人の実家に、消息を知りたいとの葉書を出した。しかし、返事はなかった。まあ、愚生からの葉書だったことが理由でなければ、皆さんそれぞれの思いがあるのだろう。老人の共通の話題は、親の介護や認知症の話しだった。歳をとると、どうしても暗い話が多い。先週、義弟のカミさんの葬式で田舎に帰った。享年59歳といから、あまりにも悲しい。明日は、我が身かと思うと、一日一日を大切にしなければと教えられる。

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