アフリカ系の人物として描けば人種差別?
某スポーツ新聞電子版に、全米オープンテニス女子決勝で、大坂なおみに敗戦したセリーナ・ウィリアムズの風刺画の記事があった。セリーナ・ウィリアムズが主審の判定に激しく抗議して罰金を科された。作者のマーク・ナイトは、その抗議する様を風刺し、コート上で子供のように地団駄を踏むウィリアムズを描いた。この風刺画が、人種差別的だと批判を浴びた。問題は、分厚い唇などアフリカ系の人物を描く際には、タブーとされる表現方法で描かれているためだという。愚生のように、米国社会の人種差別問題に疎い者にはよく理解ができない。しかし、愚生が出張で行った1980年代頃のカリフォルニアでは、口には出さないが明らかに有色人に対する偏見はあった。愚生も長期に出張する時は、宿泊費が安いモーテルに泊まった。昼飯は現地の駐在員などと食いに行った。しかし、夜や休日となると、一人で食べることになる。別に、愚生自身が白人コンプレックスを持つと言うわけではない。しかし、日本食や朝鮮食といったアジア系の食堂の方が落ち着いた。また、米国に行く飛行機の中で、偶然となりだった某社の駐在員に中西部の米国事情を聞くことがあった。その地域は米国の田舎で、日本人を見る機会が少ないという。そのため、彼を遥々遠方から見に来る人までいると言っていたのには笑った。彼らにとっては、日本人は見世物だったのだろう。一方、愚生の居たシリコンバレーの中心サンノゼは、米国の中でも進歩的な地域だった。世界中からコンピューターエンジニアが集まっていた。そういう地域であっても、キリスト教会は人種毎に集まっていた。愚生が通った日系メソジスト教会は、日系人ばかりの集まりだった。勿論、日系人と言っても米国人だ。一世や二世なら日本語は話せる。しかし、三世以降となると、顔は日本人だが、中身は米国人で日本語は話せない。それでも、日系人という枠に縛られるため、彼らはどうしてアイデンティティを保つのかと思った。同様に、コーリアンはコーリアンの教会を建てて、自分達のコミュニティを形成していた。こうなると、日本でいう宗教的なクリスチャンとは違い、米国では一つの同胞の集まる社交場になっていた。白人社会と黒人社会の場合は、奴隷制度という過去の歴史もあり、もっと深刻なギャップがあるのだろう。そう考えると、風刺画の作者マーク・ナイトが、いくら人種とは無関係だと反論しても、差別を感じた側は納得しないだろう。ただ、愚生もテレビニュースでウィリアムズの抗議場面を見たが、ゴリラが怖い形相で食って掛かっているようで、気持ちの良い場面ではなかった。あの悪態の源は、親のしつけの問題や自身の驕りからくるのだろうか。愚生は作者の「人々はウィリアムズをアフリカ系の人物として描いたから自分を人種差別主義者だと言う。風刺画が誤った見方をされたことについては申し訳なく思うが、自分はただウィリアムズの悪態を描いただけ。人種とは全く関係ない」という言葉を信じたい。日本社会でも、どうしてもマイノリティーは不利な立場だ。ただ、米国と違うことは、嫌なら母国に帰れば良い。日本に住み着いたからと言って、国籍も変えずに参政権をよこせと言うのは筋が違う話だ。
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