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2018年11月11日 (日)

貫一お宮の像という観光資源

Si_80022137_30799 一昨日は、同窓会で熱海に泊まった。同窓会といっても、酒を酌み交わすだけだ。ほとんど観光などはしない。ただ、内陸県から来た友人は、海が珍しいとみえて気に入っているようだ。その他に、熱海には見るべき資源があるのだろうか?見渡しても外人のインバウンド客はいない。むしろ、愚生より年上とみられる棺桶に足を突っ込んだような老人客が多い。近くにあって老若男女問わずに雑踏に塗れる箱根とずいぶん人気が違うと感じた。愚生自身も、家族連れで熱海に行ったことはない。宿泊費が安く、交通の便が良いことだけが利点だ。ところで、熱海の海岸には、1986年に設置された「許しを乞うお宮を貫一が下駄で蹴り飛ばす金色夜叉」の銅像がある。年寄りならば、みんな皆知っているだろう。読売新聞に明治30年-明治35年まで連載された尾崎紅葉が書いた小説の一場面だ。「来年の今月今夜、この月を僕の涙で曇らせてみせる」というお馴染みの臭いセリフを思い出す。ただ、時代が変わって現代では、「貫一お宮の像は、女性への暴力を容認していると誤解を招くのでは」といった意見が数多く寄せられているという。そうした中に、「こんな像があったら、恥ずかしくて熱海へ外国人客を連れて行けない」という内容まであるという。しかし、撤去するとなれば別の大きな問題もある。女性の人権を守れと言いながら、表現や言論の自由を弾圧しているとも言える。一高の学生だった貫一が下宿屋の娘のお宮を蹴るシーンは、愚生の大学時代でも考えられない蛮行だ。そういうわけで、銅像はインバウンド客の観光資源にはなっていないようだ。というか、それほどまでに熱海には観光場所がないのだろう。何か、廃れた水上温泉や鬼怒川温泉と通じるものがある。農業人口が減って、温泉湯治という客が少なくなったのだろう。毎回、幹事をしている愚生には、つまらない小さな集まりでも、それなりに手はかかる。少しは、こちらの気持ちを斟酌してもらいたいと思うが、言っても無駄だろうと諦めている。愚生が担わなければ会は潰れてしまうと思うと、ボランティアのつもりになってするしかない。そう思うと、つくづくスーパーボランティアと呼ばれる尾畠春夫(おばた はるお)さんに頭が下がる。定年後は「自分は学歴も何もないけど世間に恩返しがしたい」とインタビューに答える尾畠さんをみると、本当にいい人だな~というのが伝わってくる。邪な愚生には、とても真似ができないと感心する。

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