元旦に届かない友人を思い浮べれば共通点
元旦と言えば、年賀状が頭に浮かぶ。インターネットの発達で、普段にハガキで伝達することは少なくなった。ほとんどが、安くて速い電子メールで済んでしまう。それでも、愚生のようにOB会の幹事をしていると、デジタルディバイドされた友人だけにはハガキで伝える。本人が電子メールを使えないと言い張れば、しょうがないと諦めるしかない。そういう訳で、特別な事情がなければ、唯一年賀状だけしかハガキは使わない。年賀状は、世話になった田舎の知人や学友、社友、そして近親者宛に出すことがほとんどだ。近況を改めて問うのが面倒な時に便利だ。そして、冠婚葬祭の情報も得られる。ただ、社友となれば、開発で固い絆の命運共同体だった人や結婚の仲人をした部下くらいとしかやり取りしなくなる。所詮、サラリーマン社会は利害関係で結びついていたと改めて思い知らされる。愚兄には、年賀状を出しても何時も忘れた頃に返事が来るか、来ないことも多い。社会性のない人間だと思って諦めている。近親者に年賀状を出すことを、好きでしているとでも思っているのだろうか。好き嫌いとは別に、生きているなら連絡先や諸事情の確認のために出している。一方、学友となれば別だ。こちらの方は、利害関係がなくこれまで付き合ってきたために、嫌になれば出さなくなる。愚生の場合も、返事がない相手には出さなくなった。別段、連絡を取り合う必要がないと思うからだ。また、相手が雌伏するような事情でもあるのかと深読みして慮る。そして、高齢者と呼ばれる現在、学友からの年賀状が一番多くなった。愚生の学友などは、一度は定年を迎えている。仕事に追われることもないため、時間は有り余っているはずだ。そう考えて、元旦に届かない友人を思い浮べれば共通点がある。学部留年した人や学業の成績が悪かった連中だ。大学の成績など、皆が必至で勉強しているわけではない。真面目にさえやっていれば、それなりの成績は得られる。「三つ子の魂百まで」というが、時間や自己管理ができないことは、本人の生まれ持った性格が大きい。そう思うと、年頭に年賀状が届かない人には、来年から送くるのはよそうと思う。いざとなれば、電子メールやスマートフォンで連絡がつく。そして、それがかなわなくとも、別段困らない間柄だ。
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