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2019年1月 7日 (月)

年賀状は必要悪な慣習だとは思えない

Boar 高齢者という範疇になれば、何か得になることが多いのだろうか。まず、思い浮かぶことは厚生年金が満額支給される。身近なところでは、QBで髪をカットする時に消費税分が割安になる。JRの「大人の休日倶楽部ジパング」でJR東日本やJR北海道の切符が30%割引となる。(ただし、201キロ以上で年会費が必要なため、遠距離旅行をしないなら要注意。)M市では中期高齢者から市内のバス代が定額年会費を支払えば無料になる。シルバーシートに遠慮なく座れる。そして、広島原爆記念館や美術館の入場料の割引が適用されるなど、探せばまだまだありそうだ。いずれにせよ、生産性が伴わない階層のため、社会で歓迎はされないが多くの特典がある。そして、勤め人から解き放たれた開放感からだろうか、締まりのない緊張感不足の面構えになる人も多い。愚生自身も、そうなっているのかもしれない。寒中にもかかわらず、ご近所が早朝通勤をする姿を見れば、ご苦労さんと言いたくなる。愚生も若い頃には、極寒の中でも自電車や徒歩で最寄り駅まで行った。今もう一度やれと言われても、勘弁して頂きたいと言うしかない。こうして老い先短い晩年を無駄に費やしているような気もする。ところで、年始恒例の年賀状に、今も仕事があると嬉しそうに書いてくる学友もいる。詮索はしたくはないが、それぞれ事情があるのだろう。また、四十年以上も年賀状をやり取りしていた学友から、突然連絡が途絶えると何か不幸があったのかと心配になる。毎年、年賀状を出しても返事が来ない愚兄を持つと、腹立たしさを超えて呆れてしまう。愚生は義理で出して、安否を確認しているだけだ。出すほうが、喜んでいるとでも思っているのだろうか。社会環境に適用できなく、周りから虐められぬくと、性格も偏屈になったのだろうかと穿った目で見てしまう。そう考えると、年賀状一つからでも色々と憶測できる。必要悪な慣習だとは思えない。

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