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2019年3月10日 (日)

朝鮮には過去の歴史建造物も文献もない

Keijo61 先々週、台湾に旅行した時に、中華民国総統府は今でも日本時代の台湾総督府を使用していることを知った。また、中国共産党は(中華人民共和国)関東軍司令部の建物を今も使っている。オマケでできた半島に恨の国と大きな違いだ。彼らは、恨みが礎の国だからなのだろうか、未だに鬱憤と慨嘆の中で生きている。前大統領の朴槿恵は、慰安婦問題で日本を口先外交で口撃した。今の大統領の文在寅は、政経分離のツートラックといいながら、日本批判を繰り返す。東アジアの国はどこも同じかといえば、中国は柔軟だ。彼らの外交は、瞬時に実利に転換する。2014年、習近平は朝鮮征伐(文禄・慶長の役)で韓国と協調を模索した。習近平は、ソウル大講堂で日本に対して共通の敵愾心を話した。そして、中韓両国は日本の安倍政権に対抗した。しかし、日中韓の三角関係が複雑化した今、中国は立場を入れ替えた。つまり、韓国の歴史観と決別して、日本との関係の修復を急いだ。中国の柔軟性は、東北3省(旧満州)に行けば実感する。ここは過去、満州国(1932~1945年)だった地だ。吉林省長春は満州国の首都だった。当時、日本の関東軍は、満州国の建設と満州事変を演出した。展示館の関東軍司令部の写真には、「傀儡満州国の太上皇関東軍司令官、東北人民鎮圧屠殺の総指揮部」と憎悪をむき出しに表現してある。しかし、 そのような感情は街頭に出ると変わる。長春には満州国の建物が、今もあちこちに残っている。中国は過去の歴史建造物を大切にして壊さない。関東軍司令部の建物でもそうだ。建築様式は、日本の城郭である天守閣が大阪城と似ている。そのような関東軍司令部建物が今も中国共産党吉林省委員会として使用されている。表札を満州国時期に「関東軍軍法会議」と記されていたものを、日本関東軍から中国共産党に変えただけだ。博物館案内員になぜ日本伝統様式の関東軍司令部の建物をなぜ壊さないのかと聞けば、建物には罪がないからだという。そのあたりが、中国人と朝鮮人との違いだろう。中国人の多くは日帝時代を厳しく非難するが、その意識は洗練されている。中国の歴史博物館に共通の文面がある。「前事不忘 後事之師(過去のことを忘れずに未来の師としよう)」だ。要するに温故知新だ。中国外交は半島の恨の国と違い転換が早い。実利を重んじるから、米国トランプ大統領との争いが激しくなると、習近平は、安倍政権に接近して実用外交を展開する。歴史を考察すれば、日本は満州国を作り清朝最後の皇帝を執政にした。元々、満州の地は漢族の居留地ではなく、女真族つまり清のものだからだ。漢族にとって満州国建国は関係の無いことだからだ。中国の長い歴史は、半分は異民族に支配されている。しかし、その属国である朝鮮は、すべて中国の支配者に意のままだった。思いだせば、日清戦争で日本が勝利して初めて朝鮮は独立を勝ち得た。その朝鮮は、過去の歴史事実や遺産を自ら放棄してきた。そのため、朝鮮には過去の文献もなく、あっても漢字が読めず、自分の不利になる事実を捏造で穴埋めしてきた。それゆえ、他国に建ててもらった素晴らしい建物は、自らの嘘を守るために破壊せざるを得なかった。愚生が初めて韓国に行った時に見た朝鮮総督府も今はない。一方、ウズベキスタンでは、日本が建造したナヴォイ劇場を誇りにさえしている。半島に住む連中がおかしいと思うのは、愚生だけだろうか。

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