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2019年4月 9日 (火)

ご近所の知り合いの通夜

2015051200030_2 昨日は、ご近所の知り合いの通夜に行った。特別に親しい人ではない。愚生の陰口を叩いているという噂もあった。しかし、だからといって葬儀に行かないのも子供じみている。今後のこともあるだろうからと参列した。奥さんが亡くなられたので、ずいぶんと気落ちされているようだった。愚生の住む地域は、東京郊外の都市化が始まる昭和四十年頃に分譲された。だから、最初に購入した人達は、ずいぶん不便だった時期に入居した。今から思えば安かった土地だが、当時の三十代若夫婦には、大変な住宅ローンだったという。五十四年も前だから、そういう時代から住む人を、愚生は内々で「〇〇原人」と呼んでいた。そして、彼らの平均年齢は八十代半ばが多いため、これからは葬式ラッシュになるだろう。愚生がここに越してきたのは、バブル期のピークに近い三十年前だった。だから〇〇原人とは、親子の関係とまでは離れていない。しかし、二回りくらいの違いがあったため、何かと愚生が入居当時は陰口を叩かれた。確かに、グローバルでヤクザな大企業に勤務していたせいで、長幼の序など、頭にはなかった。愚生への陰口は、越してきた若造に対する、やっかみだったのかもしれない。しかし、愚生が市役所との交渉窓口をして過分な整備予算を得た。そして、分譲地内の道路や上下水道、ガス管、常夜灯などの再整備した頃からは、陰口のトーンが低くなった気がする。愚生自身が、自治会のボランティア活動に美学などを求めていたわけではない。〇〇原人たちに任せれば、いつまで経っても市役所から予算など獲得できないと思ったからだ。役所勤めでなくても、人は一番楽をして報酬を得ようとする。だから、愚生の住む地域に予算を付けることが、一番楽だと彼らに悟らすことだった。そういうことから、市役所職員との交渉や言動を厳しくチェックして、公務員の倫理規範違反を列挙した。厳しく検分すれば、湧き出すよう違反が見つかり、そのつど書面で抗議した。数年も経つと、愚生の市長への抗議文が全体の七割もあると言われた。特に、市長選前の抗議文などは有効だった。市長に怒鳴られたと、彼らは自分の過失を忘れて被害者面をした。そういう知り合いも、課長や部長などを経て退職していった。今から若い頃を思いだせば、「夏草や兵どもが夢のあと」という空しさがある。〇〇原人の葬儀に参列する歳になると、世俗の道路整備などは、どうでも良かった気がする。

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