父の日
今日は、父の日だ。そういう訳もあって、昨日息子からウイスキーとつまみを貰った。いくばくかの金を払い、プレゼントしてくれた気持ちは素直に嬉しくなる。愚生も母親に誕生日や母の日に贈り物をするが、全く返事もくれない。たぶん、母からは嫌われていのだろう。裕福な家庭で、不自由なく育った母には介護施設に入居していることが我慢ならないのだろう。そうかといって、介護施設に見舞いに行っても、お前が来ると心臓が悪くなると悪態をつかれては行く気も失せてしまう。二十年近くも、親父が亡くなったあと、寂しいだろうと思い毎週電話をした。しかし、母からは、「また愚痴を聞いてもらいたいなら来ても良い。」という。愚生の母は、昔から自分の勝手な思いで人を見てきた。そして、既成事実とするために、相手に念を押すというふうに舞う。母の言い方で、平生から愚生がどのように他人に言われているかが分かる。どうも昔の人は、子供は自分の持ち物だという意識があるようだ。そして、母の場合は戦前教育を受けたためか、長男の悪口はいわすに、愚生を肴にして疎んだ言い方をする。腹立たしいこともあったが、言っても母が直すことはないため諦めている。どうしても、徐々に疎遠になってしまうことは寂しい。愚生も高齢者の範疇に分類されるようになった。長生きをしても、不満をため込むのでは生きていても意味がない様に思う。ただ、最近は若者から距離を置かれて、周りが高齢者ばかりになると母の気持ちもわからないではない。思いだせば、比較的に裕福な家庭だったため、いろいろとお世話になったことも多い。そう思うと、嫌われていても、すべきことはしなければと自分に言い聞かせている。「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞聖人が詠んだ和歌が頭を横切る。
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