孝行したい時に親はなし
昨日は、介護施設にいるお袋に葉書を出した。介護4というから、自分の身動きもままならないようだ。愚生が温泉に行ったことでも書いて送れば、少しは気が晴れるかと思った。しかし、受け取った方は何を思うか判らないが・・・。元々母は、良家の一人娘だった。両親が早死にしたため、母の祖父は孫に資産を確実に渡すため、全財産を生前贈与したという。だから、母は生まれながらの資産家だった。そして、婿養子を取り戸主となった。そのせいで人に頭を下げるという事がなかった。いつも思う気ままに放言していた。明治生まれの曾祖母は、そうした母を盾として守るために尽くした。そのせいか、愚生の前では柔和にほほ笑む曾祖母は、婿養子の親父には厳しい長幼の序を示した。黒部第四ダム建設時、火薬取り扱い主任だった父は、宇奈月町への単身赴任が長かった。たまに家に帰っても、愚生には怒ることはなかった。しかし、気に障ることでもあったのか、兄はよく叱られていた。親父が死んでからは、母を守る人がいなくなったせいで、自分の気ままな放言にも風当たりが強くなったようだ。そして、親父の関係で出入りしていた人たちも、お袋から離れていった。仕事がないと塞ぎこむ近所の大工さんなどへ、母はよく発注していた。しかし、お袋の散財もあって、金の切れ目は縁の切れ目というふうになった。母は自分が上位になりたがる性格なので、かみさんの義父母も閉口していた。そして、感情が振れると何を言い出すか判らない。酷く人を中傷することもある。その性格が仇となって、身近な親戚でも母を好いている人は少なかった。愚生も母の気まぐれから、気に入らないとさんざん非難を受けた。愚生が東京から長野県まで見舞いに行っても、説明もなく無理難題を要求する。そして、意見が通らないとお前が来ると心臓が悪くなるから、もう来るなと怒る。それが母の本意ではないと思っても、長野まで行く元気はなくなる。そういうこともあってか、最近は一方通行だがハガキや贈り物をしている。義理だと思い長男の慶事を兄に伝えたところ、社会性欠如の返事がきた。苦情というか不満を、今回のハガキの末尾になるべく婉曲に付け加えた。しかし、母も兄も一蓮托生の間柄だから、どれだけ正確に母に伝わったか疑わしい。
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