歳を重ねると考えることが小さくなる
昨日、カミさんが田舎から返ってきた。愚生は、酒を飲んでいたせいもあって就寝中だった。愚生宅の「番猫」のりりさんは、小さな声で10回も「ニャー」と泣いて抗議したという。さぞ心細かったのだろう。朝起きて愚生がダイニングテーブルに行くと、仁王立ちのりりさんは、まず自分の餌をくれと顔で促した。よほど愚生のことが信用ならないので、餌を与えるのを忘れるのではないかと心配していたようだ。高貴な血筋のりりさんは、餌を入れたからと言ってすぐに食べるわけではない。それで納得して、あとは猫食いというか、気まぐれに腹のすいた時に食べる。生まれたときから餌に飢えたことがないせいか、ガツガツ食べるという事がない。生誕60日で、ペットショップから愚生宅に下野した。そのため、自分が猫だということを誰からも教えなられていない。そのせいか、序列についても遠慮するとかということはない。家も自分の物だと思っているから、爪で引っ掻いて傷つけるということはない。動物病院に愚生が子供抱きして行くと、血筋の良いせいか、若いおばさんから「イケメン」だと褒められる。愚生の事ではないが、何か自分ことのように嬉しくなる。爺さんも婆さん猫も、チャンピオン・キャッツとあって血筋の良さが顔に出るのだろう。つくづく、ペットショップに払った金が惜しいとは思わない。やはり、イニシャルコストは大切だと思う。見目麗しくもない野良猫に、可愛いと言って話しかける友人には同情したくなる。味噌も糞も一緒にしないで、日本語を正確に使用してもらいたいという気分になる。ところで、今日は歯医者の検診の日だ。若くてきれいな検査技師に当たれば、朝から運が向いてくるだろう。歳を重ねると、考えることが本当に小さくなる。愚生の脳も委縮してきているのだろうか。
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