母に会うのは気が重い
ここ数日、風邪で臥せっていてブログを書く気分にはなれなかった。つたない文章なのにと思われるが、文才のない愚生としては気力が精一杯の源だ。愚生は、風邪を引いたからといって薬を飲むことはしない。風邪に効く薬などないからだ。老いた今は、風呂には入らず、暖かくしてベッドに潜り込むのが最良だと思っている。そして、食事も体力が消耗するから多くは取らない。いわゆる、仙人のような生活だ。いずれにせよ、気力は萎えたままで、行く末はこうなるのかと案じる始末だ。今から思いだせば、若い頃は活力があった。風邪をひいても、月曜日の朝には熱が下げ治っていた。風邪だからと、酒を飲むのを止めることもなかった。30歳前半だった頃、川崎工場で体温を測ったら39度もあった。しかし、沼津工場の会議があったので、沼津工場の診療所で風邪薬を貰った。その足で、夜の9時過ぎに明石工場の装置をデバックしている現場に足を運んだ。翌日、明石工場勤務の医師に診てもらったところ、熱はだいぶん引いていた。医師からは大変ですねと同情され、滋養のための注射を施してくれた。そうこうして、川崎工場に戻った時は、風邪はすっかり治っていた。あの当時は、若かったせいなのだろう体力の不安などなかった。しかし、女房・子供がいる分際で、住宅ローンも抱えていたため気力だけは充実していた。自転車操業の家計だったので漕ぐのを止めれば、破綻することだけ確実だった。近頃、気力が衰えたのは、心配することが減ったからだろうか。ただ、明日は長野の介護施設にいる母への面会の予定だ。母は棺桶に足を突っ込んだ状態だが、頭はしっかりしている。少し機嫌を損ねると、過去に世話になったことなど忘れて、愚生を口汚く罵る。お嬢さん育ちだったせいで、自己中心的で他人の気持ちを斟酌することがない。歳を重ねても、苦労をしないせいで、人を批判はするが自分を反省することは少ない。そういう態度の母には、申し訳ないが少し距離を置くようになってきた。愚生自身も歳をとったせいか、自分と比べて母が利害関係に疎いと思うようになったからだ。母の周りに集った人たちは、親父に世話になった人たちだった。その親父のことを、理由はともかく、あし様に批判すれば、人が離れていくのは当たり前だ。また、友人(保険の勧誘員)だと思って、一緒に旅行に行っていた人も保険を解約すれば、理由をつけて行かないのは当然だ。母に会うのは良いが、行って不快になることを考えると気が重い。しかし、行かないというのも愚生の美学に反する気がするからしょうがない。
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