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2019年12月25日 (水)

いつの間にか、ニコンのカメラは無くなった。

1pb12 愚生にとってニコンNIKONは、一眼レフの代名詞だった。愚生が高校生だったのは昭和40年代の前半だ。当時、写真部に入部して真新しい一眼レフ、ニコマート持っていた。親父に無理を言って買ってもらった。愚生の腕には、過ぎたカメラだった。社名であるニコンを製品名にしたカメラNIKON-Fを、1948年に初めて発売した。それから71年後、ニコンの代名詞であるカメラ事業が揺らいでいるという。デジタルカメラの販売台数シェアでソニーに抜かれ、20203月期は100億円の赤字と初の営業赤字に転落する見通しだ。カメラの市場縮小が止まらない中、リストラを進めるが事業領域の狭さがネックで苦しんでいる。三菱財閥でなければ、キヤノンのようにいろんな分野に自由に参入できたのだろうが。20203月期の連結純利益は前期比74%減の170億円と従来予想から引き下げた。主因は220億円引き下げたカメラ事業だ。デジカメの世界出荷台数は2018年に1942万台と、ピークの10年から8割減少。2019年も2018年比2割減の水準で推移する。ニコンが特に響いたのが、ミラーレスカメラの出遅れだろう。デジカメ一眼レフとは、光学はプリズムで撮像素子はデジタルだ。こんな中途半端なカメラは、端境期の製品だ。当然、光学プリズムを廃した電子ビューファインダーが主流になることは予想された。ニコンもキヤノンも今の自社製品の寿命を長らえるため市場参入が遅れた。デジタルの世界は、日進月歩のドッグイヤーだ。特に、小型軽量で高画質の写真を撮れるミラーレスは、一眼レフの顧客を侵食していった。一眼レフを持たないソニーやオリンパスが集中投資する一方、一眼レフで高いシェアを握っていたニコンは参入が遅れた。2018年にようやく本格参入した時にはすでに先行勢が市場を抑えており、ソニーはレンズも含む豊富な製品群で囲い込んでいた。デジカメの販売台数は長らくキヤノンに次ぐ2位の座を守ってきたが、今期の各社の計画ではそのソニーに抜かれる見通しだ。ニコンはもともと競合のキヤノンに比べてカメラ事業の利益率が低い。キヤノンのカメラ関連事業の営業利益率が2018年度までの5年間で平均14%なのに対し、ニコンは9%。キヤノンはほとんどの部品をグループで内製していることや高い生産技術で原価率が低い。損益分岐点が高いところに、販売台数減で売り上げが減少し、一気に収益が悪化した。そこで、ニコンは、プロや趣味用途の客層に集中するため高級機2種に加え、中級の「Z50」を発売した。ただし、この機種はAPS-Cとフルサイズではないため愚生には奇異に映る。市場ではニコンのミラーレスカメラは3年早ければ収益構造の変化を期待できたという。キヤノンは2016年に約6655億円を投じ、旧東芝メディカルシステムズを買収するなど、ビジネスモデルの転換を進めた。連結売上高に占める新規事業の比率は今期30%近くに達し、カメラ事業の収益悪化を下支えしている。これまでの蓄えであるネットキャッシュは、約2600億円と豊富だ。外から見ていても、キヤノンのしたたかさが目に付く。キヤノンの参入した事業は、瞬く間に上位を独占してしまう。複写機、プリンタ、カメラ、医療機器など、古くはファクシミリなどもそうだった。愚生が最好きなニコンだったが、今持っているカメラは、ソニーのコンパクトズームRX100M5APS-C単焦点28ミリのリコーGR,そして、フルサイズの単焦点35ミリのソニーのRX1だ。いつの間にか、大好きなニコンのカメラは無くなった。

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