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2020年2月13日 (木)

もう一人南海のスーパースターの杉浦忠

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昨日に続いてしまうが、野村克也監督の死亡関連のニュースが多い。野村監督の人望というか、人との交わりが偲ばれる。最近の選手もそうだが、古い時代の多くの育てた選手のコメントが印象的だ。江夏豊と江本孟紀を同列にすると江夏は怒るだろうが、彼ら両人も野村監督がいなければ、今の球歴は残せなかっただろう。サムイ・ジャパン稲葉監督もその一人だろう。野村が東京六大学で息子(明大)の神宮での試合を見に来た時に、敵方の稲葉(法大)がよく明大相手にホームランを打った。それが縁で、ヤクルトはドラフトで上位指名して獲得した。南海ファンだった愚生だが、野村監督のあの性格は未だに好きにはなれない。何しろ子供っぽい言動が多かったからだ。正直といえば、それまでだがもう研鑽を積んだのだから、もう少し相手に配慮されたらと思うことが多い。また、夫婦というのは不思議なものだと感心する。あのキツイ性格の佐知代夫人は、野村監督にはかけがえのない人だというからだ。外からでは、夫婦の実情は分からないものだ。その野村監督が現役時代に活躍した頃にもう一人南海のスーパースターの杉浦忠(立大)投手がいる。杉浦は1958年に南海ホークスへ入団した。当時南海の主力選手で立大の先輩でもある大沢昌芳を通じ、杉浦忠と長嶋茂雄は共に少なからぬ額の援助金を受け取っていた。そのため、入団に際しては両者の南海入りが確実視されていた。その後、翻意して巨人へ入団した長嶋と、義理堅く南海へ入団した杉浦との対比が現在でも語られている。長嶋が不義理にも巨人へ入団することを聞き、心配になって南海の鶴岡監督が杉浦の元へ来た。杉浦は鶴岡に「心配ですか?僕がそんな男に見えますか?」とだけ言って笑顔を浮かべたという。鶴岡は「その静かな口調の底に、『僕は一度決めたことを破るような男ではありませんよ』という強い鉄石のような心が隠されていたと、後になって分かった」と語っている。その杉浦投手は、2年目の1959年は38勝4敗(勝率.905)という驚異的な成績で南海のリーグ優勝に貢献した。続く日本シリーズ(対読売ジャイアンツ戦)では、第1戦から4連投し、4連勝の大活躍で南海を初の日本一に導いた。その後、杉浦は南海ホークスが大阪から消滅した時に監督を務めていた。そして、2001年11月11日に66歳で亡くなっている。古い南海ファンなら、知らない人はいないだろう。長嶋の不義理もそうだが、巨人の不正は「江川の空白の一日」、「桑田早大偽装事件」とその後も延々と続いた。

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