何か寂しい気がするが
愚生の住む〇〇団地は、昭和40年前後に分譲された。それは、サラリーマン向けの土地付きの小さな建売り住宅だった。東京郊外の南に位置するM市は、当時はタヌキやキツネが出没するような所だったに違いない。その地に移り住んだ人たちは、地方からのお上りさんが多かった。30代半ばから40台の世代が、分譲された小さな住宅を購入した。今を昭和で数えれば、昭和95年だから55年も前になる。初めて住んだ世代は、85歳から90歳くらいになる。そういう訳もあって、最近はやたらとあちこちで葬式が多い。昨年は、愚生宅の裏の家で、今年はお隣がご不幸だった。85歳、94歳というご高齢だから、いずれも天寿だろう。そして、まだまだ予備軍と言うと失礼だが、後に続く人々が多く住んでいる。最寄り駅や市役所から徒歩圏と利便性が良いせいで、臨終まで住む人が多いようだ。平均的なサラリーマン層が多く、子育てをして、住宅ローンを返した後に、他に移り住む余力がなかったのだろう。そういうわけで、土地バブル期に移り住んだ愚生などは、30年経ても未だに最近来た人といわれることがある。平成の初期だから、古い原住民より四半世紀後の移住だ。そういう愚生も、年を経て子供たちが巣立ってしまうと、老夫婦と老猫一匹になった。何か寂しい気もするが、愚生の両親も同じ気持ちで歩んできたのだろう。ところで、猫と言う種族は、よく自分の環境を見ている。子供たちがいなくなると、徐々に態度が大きくなってきた。老猫は、こちらの言うことがほとんど解るようで「お休み」と言えば、「ニャゴ」と偉そうに返事をする。本人は知らないだろうが、彼の爺婆はチャンピオン猫だった。そのため、愚生と違ってやんごとなき血統の身だ。親の欲目かもしれないが、その辺の野良猫と違い何か風格が備わっている。お互い年老いてきたから、次に飼うペットはないだろう。田舎育ちだった愚生は、小さい頃から犬や猫、鳩、ニワトリ、カナリア、セキセイインコ、亀、鯉、金魚など多くの生き物を飼ってきた。このように人生を振り返るようでは、今流行の武漢ウイルスに付け込まれてしまう気もする。
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