先人の箴言をもう一度嚙み締める
文在寅大統領は、2015年の日韓慰安婦合意について、日本から公式の謝罪も受けていないと批判する。そして、謝罪には心が込められていなかったから合意は無効だという。しかし、国家間の謝罪に、心の問題など評価することがあるのだろうか。謝罪といっても、国家間では必要であればやるし、必要なければ謝罪すべきことも無視する。古代制度の朝鮮を近代化しても、恩を仇で返し、韓国はつけあがるだけだった。そもそも、文在寅が言うように、国と国の謝罪に、心を込めることなどあるのだろうか。歴史的にみても国家間の謝罪は「正しいかそうでなかったか」という次元で行われはない。丙子胡乱(へいしこらん。1636-37年の清の朝鮮侵略)で敗れた朝鮮国王の仁祖は、南漢山城から出て漢城(ソウル)に行き、清の太宗の前で3回拝み、9回額ずいた。いわゆる「三田渡の屈辱」だ。これは単に朝鮮が清の言うことを聞かなかったことが理由だった。朝鮮は清に謝罪はしたが、仁祖の謝罪に心が込められていただろうか。日本が韓国に慰安婦合意を行い「謝罪と反省」を表明したのも外交だからだ。要するに韓国、米国、日本の協力体制強化を望む米国が間に入り、対立を解消しようとしたため、形式的に行ったにすぎない。これに、心が込められていないなどと、文句を付けるのは筋違いだ。そもそも、朝鮮半島には今同様に多くの売春婦はいたが、従軍慰安婦など歴史上存在しないからだ。外交と倫理を混同する文在寅は、今の韓国のような売春を慣習としている文化の現状を、どう弁明するのだろうか。韓国では、ドイツのことをよく引き合いに出す。しかし、ドイツがいつでも謝罪しているわけではない。ドイツはナミビアで1904年からの4年間に7万5000人以上の住民を虐殺したが、その後100年以上謝罪どころか虐殺の事実も認めていない。隣国のポーランドのように、無視しにくい相手国には配慮していただけだ。しかし、アフリカの植民地には、これとは異なった態度を示してきた。そもそも、旧植民地に謝罪したのは日本くらいだろう。日本によって、文明開化した朝鮮には感謝こそされ、謝罪など不要だ。韓国がナミビア人の前で、ドイツを見習え、などと言えば笑いものになるだろう。朝鮮併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達の第一項に、「朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。」とある。先人の箴言をもう一度、振り返って嚙み締める必要がある。
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