将棋が改めて見直されたことは嬉しい
文芸春秋は、創刊以来、初めて将棋を特集した。その雑誌「ナンバー」(9月3日発売)の累計発行部数が20万部となったと発表した。表紙は史上最年少で二冠を獲得した藤井聡太棋聖だ。同誌としては近年まれにみる大ヒットとなった。「ナンバー」では、創刊40年で初めて将棋を特集した。藤井聡太ブームで、発売前から記事が話題を呼んだ。そして、発売日当日に3万部、翌日に5万部の増刷を決め、累計発行部数が20万部となった。同誌では、近年好調な売り上げを記録した号は、日本代表が南アフリカを破ったラグビーW杯を扱った号だ。その時の臨時増刊「桜の凱歌」、累計18万7000部が最高だった。今回の将棋特集は、それらを大きく上回る結果となった。当初の発行部数で売り切れ店続出した。愚生は、小さい頃からの将棋ファンだ。愚生が生まれ育った北陸の冬は、曇天や雪空が多く巣籠生活を強いられる。昭和二十年代生まれの愚生が子供の頃は、冬の遊びと言えばトランプや将棋のような室内ゲームしかなかった。そういうわけで、トランプはともかく将棋を指さない子供は希だった。当時、今指される一般的な将棋を本将棋と言った。他に同じ駒を使って、周り将棋やハサミ将棋もあった。全く別の駒だが、軍事将棋というゲームもあった。終戦間もない頃だったから、戦前には軍事将棋が流行ったのだろうか。戦車や飛行機、地雷、大佐、中将、大将などと言う駒があり、うる覚えだが一般的には敵の総司令部マスを大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐のいずれかの駒で占拠する。(これら以外の駒で、相手の総司令部に侵入できたとしても、占拠したことにはならない。)愚生は小中学校までは本将棋をよく指したが、高校に行ってからはそれほど指さなくなった。そして、大学では周りに指す友人はいなく駒や将棋盤もなかった。将棋は北陸や北海道などの雪国で盛んだ。そういうせいなのか、北海道出身のプロ棋士が多い。その後社会人になって、時間潰しに昼休みに職場の友人と短時間で将棋を指していた。ただ、F社の将棋部となると、大学時代に活躍した県代表クラスの人も多かった。そのせいで、強すぎて愚生の相手には相応しくなかったため、会社の将棋部からはしだいに足が遠のいた。そして、将棋を改めて指そうと思ったのは、サラリーマンを辞めてからだ。そのころは、今とは雲泥の差はあるが、コンピューターソフトもかなり強くなっていた。コンピューターソフトの良い点は、待ったを何回もしても嫌な顔をしないことだ。人ではないので、感情的なトラブルも起きないことが嬉しい。しかし、最近は将棋を指すよりも将棋鑑賞が好きになってしまった。AbemaTVなどでは、AIによる形勢判断や次の一手が事前に示される。藤井聡太二冠の手を追えば、ほとんどコンピューターソフトの指し手と一致する。やはり、群を抜いた強さがあるとつくづく感心させられる。八冠独占も時間の問題のような気がする。いずれにしても、藤井二冠の活躍や武漢ウイルスの感染拡大で将棋が改めて見直されたことは嬉しい限りだ。
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