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2020年11月12日 (木)

南海ホークスメモリアルギャラリー

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南海ホークスを振り返る展示施設「南海ホークスメモリアルギャラリー」(大阪球場跡地・なんばパークス9階)には野村克也の功績が飾られていない。原因は、野村監督が南海の監督時代に、サッチー絡みの公私混同で解任されたためだ。その怨念か、野村監督は緑色のユニホームは嫌いだと言っていた。緑色は南海ホークスのチームカラーだ。幼いころからの南海ホークスファンだったせいで、愚性が一番好きな色はチームカラーの「くすんだ緑」だ。展示がないのは過去の経緯が尾を引いて「南海ホークスメモリアルギャラリー」に野村自身の名前を出すことを拒否していたからだ。多くの人は、野村克也がプロ野球の名監督としては知っている。しかし、若い頃の選手時代を知る者は老人しかいないだろう。愚生の小さい頃は、南海の四番バッターといえばキャッチャー野村だ。そして、監督は鶴岡監督、一番はセンター広瀬、二番セカンドブレイザーという思いだ。過去にピッチャー杉浦やスタンカがいた頃が南海ホークスの全盛だったろうか。野村が選手兼監督になるころの南海は、鉄道会社の景気も悪かったのだろうか、金がなく弱小チームになり下がっていた。そのせいで、当時の野村監督は選手の再生処理工場といわれていた。他のチームで戦力外の選手を集めて再教育して鍛えていた。東映フライヤーズ(日本ハムファイターズ)で芽の出ない選手の江本孟紀もその一人だった。その江本をエースに立てて、南海ホークスは昭和48年に最後の優勝を果たした。愚生も食堂で飯を食いながら、ラジオ放送の実況中継を聞いた記憶がある。ただ、選手の野村克也は好きだったが、あれほど愚痴の多い性格の人物は好きにはなれない。愚生の美学とは180度違うからだ。ただ、野村の独特な人の良さもあって彼のボヤキは、球界のみならずお茶の間でも多くの人に愛された。今回、南海ホークスでバッテリーを組んだ、発起人・江本孟紀が「おかえり!ノムさん」と言えるように、南海ホークスファンのためにクラウドファンディングを立ち上げた。それは、南海ホークスメモリアルギャラリーの中に、野村克也の歴史をいれる資金集めだ。熱い南海ファンだった愚性も、ファンドにお金が集まるか心配だったので、ユニホームは既に持っていたので記念品バットを購入した。カミさんにいうと、支援者プレートに名前を刻んだ方が良いのではという。心の中では、バットならヤフオクで転売できるので将来換金性はある。支援者プレートに名前を刻んだものは10万円の寄付金以外の何物にもならない。しかし、小学生から思春期にかけて、一心不乱に南海ホークスを応援した愚生の証にはなる。あの当時ほど熱く、スポーツチーム応援をしたことは、その後なかったからだ。燃え尽き症候群なのだろうか、関係が深い川崎フロンターレや町田ゼルビア、そして後継のソフトバンク・ホークスへの応援にもそれほど熱は入らない。あの熱い日々はもう帰って来ないのは、歳のせいかもしれない。愚生自身は、野村克也というより、「南海ホークスメモリアルギャラリー」をあるべき姿にしたかったことが寄付の動機だ。アンチ・ジャイアンツの愚生は、巨人の王、長嶋と並び、日本球界を代表する大打者の一人である野村克也が、日本のマスメディアに評価されていないことに不満を持っている。
1935年6月29日 京都府網野町(現:京丹後市)で誕生
1954年 テスト生で南海(現:ソフトバンク)に入団
1956年6月17日 西鉄戦(大阪)に代打でプロ初出場
1957年 初の本塁打王(30本)
1963年 プロ野球シーズン最多記録(当時)の52本塁打
1965年 戦後初の三冠王を獲得
1969年11月5日 捕手兼任監督に就任
1972年9月28日 阪急戦(西京極)で史上初の550号
1973年10月24日 監督として初のリーグ優勝
1977年9月28日 南海ホークス退団 
1978年 ロッテへ移籍
1979年 西武へ移籍
1980年8月1日 南海戦で史上初の通算3000試合出場    
1980年11月15日 45歳で現役引退を表明
1989年 野球殿堂入り
1989年10月19日 ヤクルトの監督に就任
1992年10月10日 セ・リーグ初優勝
1993年11月1日 西武を破り、監督として初の日本一
1998年10月25日 阪神の監督に就任
2002年 社会人シダックスの監督兼ゼネラルマネージャーに就任
2005年11月 楽天の監督に就任
2009年10月24日 楽天の監督を退任。名誉監督に就任
2020年2月11日 虚血性心不全のため、84歳で死去
記録アラカルト
★選手成績
通算3017試合、打率.277、2901安打、657本塁打、1988打点、三冠王:1度、MVP:5度、本塁打王:9度、打点王:7度、首位打者:1度、ベストナイン:19度
★監督成績
通算3204試合、1565勝1563敗76分け、勝率.5003、リーグ優勝:5度(南海1、ヤクルト4)、日本一:3度(ヤクルト3)
なんばパークスはかつて大阪球場。その大阪球場を本拠地に活躍した球団「南海ホークス」の50年の歴史を振り返る特別ギャラリーとして、功績を伝える貴重なアイテムなどを展示している。日本一2回、リーグ優勝12回という南海ホークスの栄光が蘇る施設となっているそうだ。

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