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2020年12月19日 (土)

子供と同様に愛おしい

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最近、愚生宅に子犬が来た。来たと言っても、愚生がペットショップから有償で連れてきたので、本人は不満かもしれない。加齢極まる老夫婦に飼われるのは嫌かもしれないが、犬の立場では断るわけにはいかない。奴隷制度(日本国の歴史ではない)があった古代・中世では、奴隷と称される人たちは大変だっただろう。まだ4ヶ月しか経ってない子犬が親から引き離され、ショーウインドウに住まわされることは可哀そうだ。そういう意味では、愚生宅に早く引き取って良かったと思う。愚生たちは老夫婦だが、過去に犬や猫を飼った経験もある。そして、今は子供たちも独立したため、身近の子犬以外に愛情を注ぐ者はいない。愚生は里親制度にも参加し、フィリピン人の子供に学資を仕送りしている。見返りは求めてはいないが、何人かの里子の中には貰って当然と返事の手紙もくれない。子供にも事情があるのかもしれないが、人それぞれだ。愚生自身も親から受けた施しを、授けてくれた両親ほどには感じていない。一方、愚生の母も私にとっては同様の態度だから、お相子だと思う。人は誰でも他人を見る目は厳しいが、自分には甘い気がする。小学生の担任は、いつも「他人にやさしく、自分に厳しく」と説教したが、その先生の身勝手さには呆れていた。マタイ福音書の山上の垂訓に【人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。】という一説がある。イエス・キリストの生きた時代も含めて、昔から人の評価は自分自身のものより、何時も厳しいようだ。連れてきた子犬も、二週間も経つと随分とリラックスして自分の要求を主張するようになる。まだ四カ月というのに、信頼しきって自己主張する様は立派なものだと感心する。当たり前だが、子犬と言っても自分の子供と同様に愛おしい。

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