目標金額「20,000,000円」の93%が集まった。
令和2年2月11日に急逝した野村克也(享年84)の名は、南海ホークスメモリアルギャラリー(大阪球場跡地「なんばパークス9階」)にはない。野村克也の名前がない理由は、本人の不徳の致すところだからしょうがない。野村の死後、残された家族と南海ホークスのわだかまりが溶け、資金集めのクラウドファンディング行われている。一周忌に合わせて、野村克也が選手として輝いた難波の地に名前を刻みたいという。
「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」と名売ったプロジェクトは、南海ホークスでバッテリーを組んだ、江本孟紀が発起人として立ち上げた。古い南海ファンだった愚生は、残存する南海ファンなどは、金のない年金生活者ばかりだろうと思って、立ち上げ当日にできるだけ寄付をした。11月11日に始まったクラウドファンディングも残すところ、24日になった。
現在の支援金総額
18,667,802円
目標金額「20,000,000円」の93%が集まった。残り24日で93%だから、楽々達成しそうな額になった。これほど集まるなら、愚生が無理をして寄付をすることはなかったと思う。愚生が応援した頃の南海ホークスは、野村がプレーイングマネジャーとして監督を務めていた。そして、そのころの球団は万年金欠病だった。南海電鉄は、正式には南海電気鉄道株式会社という会社で、大阪の難波と和歌山・関西国際空港・高野山などを結ぶ鉄道会社だ。公共企業だから、野球が赤字でも運賃値上げで補填することはできない。運賃を上げる前に、赤字球団を清算するのが筋だった。そういう理由もあって、西鉄、近鉄、阪急、南海と人気球団の阪神と西武以外は、すべて他企業に売却された。南海電鉄も球団経営を止めて、19億円でスーパーのダイエーに売却した。愚生も南海ファンなどにならなければと何度も悔んだ。同じ応援するなら、近くのセ・リーグ人気球団だった「阪神タイガース」の方が良かった。南海ホークスとは無縁の北陸地方だったため、野球帽を作るにも一苦労だ。南海の帽子など店頭では売ってもいないし、スポーツ店の店員もしらない。そのため帽章の形を説明して特注で作ってもらった。愚生の生れ故郷は、王貞治さんのお母さんの出身地で、読売新聞の正力松太郎の出身地でもあったから、ほとんどが巨人ファンだった。そういうわけで、南海ファンだというと変わり者か、天邪鬼な人間だと見られた。野村克也は月見草だと卑下したが、北陸では野村の名前を知っている人さえ少なかった。晩年、野球の解説者や監督で活躍したことで、今は多くの人が知っているだろう。しかし、南海ホークスの監督を解任されたころは、貧乏な弱小球団だった。他チームでお払い箱になった給料の安い選手を集めた球団では、初めから勝てる気はしなかった。その中で昭和48年に、パリーグ優勝をしたことは、フロックではあったが誇れることだ。それを最後に、球団として存続はしていたが優勝争いに加わることはなかった。ファンがいなければ、大阪球場は閑古鳥だ。静かでデート場所には、好都合だと言われていたようだ。しかし、その不人気球団の南海ホークスではあったが、野村克也はキャッチャー四番で活躍していた。当時のユニホーム姿の野村克也は頼もしかったが、背広を着てからの愚痴が多く女々しい性格にはとても好きにはなれなかった。そういう南海ホークス時代の野村克也さんだったが、クラウドファンディングに多くの寄付金が集まったのは意外だった。
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