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2021年1月 1日 (金)

子犬には「原罪」がない

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 今日は元旦、新しい気分で迎えたいと思う。しかし、愚生のような高齢者ともなると、あと何回迎えることができるのかと不安になる。年賀状を交わす相手も徐々に減っていく。そして、やたらと喪中ハガキが多くなる。年賀状は必要がないと言うが、相手が生きているかの確認のためには都合がよい。平生から交流があれば、メールのやり取りで用済みだ。しかし、愚生のような田舎を捨てたお上りさんは、親戚や近所付き合いでお世話になった人にも年賀状を出している。施設に居るお袋の様子など知りたいとは思わないだろうが、愚生が代わりに近況を報告している。最近の武漢ウイルスの感染拡大で、無駄なものは経費削減の対象になるのだろうか。購買力の低下から、年賀状が売れないという話しを郵便局員から聞いた。愚生の場合は、お袋に頻繁にハガキを出すため、未だにインクジェットプリンターが一年中稼働している。さすがに93歳にもなった母は、耳が遠く電話連絡もできないため、ハガキで便りを伝えるしか手段がない。愚生の息子たちも家を出た後は、めったに父親には連絡をしてこない。息子たちは母親が話しやすいのだろうか。そういえば、愚生も親父は単身赴任で家にいなかったこともあって、母親と話す機会が多かった。何時まで経っても、愚生も乳離れしなかったことを思いだす。愚生とは損な立場だとつくづく実感する。それに引き換え、最近家に来たチワワは、愚生に対する差別的な対応はない。血は繋がってはいないが、嬉しい限りだ。子犬は愚生の加齢臭が云々と嫌な顔もしない。実の子より、犬の子の方が自然と好きになってしまう。子犬には「原罪」がないからなおさらだろう。無邪気そのもので天使のようだ。犬の世話を何時までできるか不安にはなるが、終生預けることができる施設もある。最後はお金をためて、そういう施設にでも預けるのも一つの手だと思う。今日、明日と息子たち年賀の挨拶に来ると言うが、目当ては愚性ではなく子犬ではないだろうかと穿った目で見たくなる。昨年は無事過ごせたことを感謝しつつ、今年もそうありたいと願う元旦だ。

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