子犬のためにも長生きしたい
愚生宅に来た子犬(スムチ)は、うんちやおしっこに関してはすぐに覚えた。しかし、「お座り」や「待て」はなかなか覚えてくれない。子犬に言わせれば、何故その必要性があるのかという目をする。愚生が犬を飼うのは、子供のころから数えれば七匹目になる。ただし、田舎暮らしの時は親が世話をしていたことも多かったから、愚生が飼っていたとは言い難い。上京して自分で飼った犬となると、これで二匹目だ。田舎と違って、都会では部室で飼うため犬とのコミュニケーションは多くなる。田舎では、柴犬やジャーマンシェパードのような使役犬だった。前に飼った犬は、ラブラドルレトリバーで盲導犬にもなる犬種のため躾は簡単だった。今回のチワワは愛玩犬のせいなおだろうか、飼い主のいう事を素直に聞かない。爺と婆と自分しかいないため、本人は犬だという意識はないのかもしれない。いろいろな愛くるしい声を出して、こちらを自由に操っている。愚生も悪戯をしても、全く罪悪感を持たない子犬の顔を見ると真面目に怒る気にもなれない。ブリーダーで生れ、幼い頃に親離れして、ペットショップの狭いケージに入れられた。そして、愚生宅に奴隷のように売られてきた経緯を辿れば、幼いのに大変だったと同情する。多少羽目を外しても、不遇を考慮すれば大目に見てやりたい気がする。子犬だからと言っても、我が子と同じに愛おしい。いや、口答えしない分、子犬の方がより親密かもしれない。いずれにしても、子犬が来てからは老人二人の家庭がパット明るくなった。そして、話題の中心は常に小犬君になってしまった。余命はどのくらいあるのかは知らないが、子犬のためにも長生きしたいと思う。そうでなければ、十分な持参金をつけて犬の愛好者に引き取ってもらうしかない。
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