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2021年2月15日 (月)

「思春期を南海と共に」

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「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に」プロジェクトは、故野村克也氏一周忌の3日後に、ニューアルセレモニーを開催した。愚生は、夜になってアップされたユーチューブで式典や「なんばパークス記念館」を動画で見学した。野村克也の遺品は、キャッチャーミット、ユニフォーム、ノック用バット、4017塁打(当時の日本新)&44号本塁打(当時のパリーグ新記録)などが展示されていた。今後、支援者には返礼品を送るというから楽しみにしたい。愚生が南海ホークス記念館を見たのは初めてだった。しかし、今回のリニューアル以前の展示は、ずいぶん地味な記念館だったようだ。パネル展示や古くなった優勝ペナント、メッキが剥げた真っ黒いトロフィーなどしかなかったのではないだろうか。福岡ソフトバンクドームにある「王貞治ベースボールミュージアム」と比べずいぶんと貧弱な記念館だったのだろう。今回、プラズマディスプレイで何本かの過去の南海ホークスや大阪球場を紹介する動画が加わった。しかし、世界を相手の「ソフトバンク」と大阪~和歌山を走るローカル電車を運営する「南海電鉄」の資金力の差は、あまりにも大きく感じる。愚生の眼には、熱烈に応援していた金欠「南海ホークス」に相応しい。愚生の眼には、金欠「南海ホークス」に相応しいと思えた。野村克也の名言「王や長嶋はヒマワリ。私は日本海の海辺に咲く月見草だ」という言葉が実感できる。国民栄誉賞の王貞治にくらべれば、野村克也は月見草という例えに納得できる。愚生も何が縁か、「南海ホークス」などを応援したために、皆の話題から外れて辛い思いをしたことは多かった。大阪に縁も所縁もない北陸で、南海ホークスを応援するなど、自分自身に呆れていた。同じ大阪なら、せめて阪神タイガースを応援すべきだった。何度も選択の過ちを悔んだが、最初に惚れた女から逃れられないのと同じだ。思春期は「南海ホークス命」という感じの熱烈なファンだった。雪深い北陸で南海ホークスの帽子をかぶり、南海ホークスのヘルメットまでLRTの中で着用していたのは愚生だけではないだろうか。今なら恥ずかしくて出来ない。せいぜい、夏に南海ホークスのビジターユニフォームを上着代わりに着て、場末のスーパーマーケットで買い物をするくらいだ。東京では、南海ホークスのビジターユニフォームなど知る人はいない。ところで、南海記念館の中にある鶴岡・杉浦・穴吹・門田・広瀬・大沢(親分)・柏原・香川・ブレイザー・江本・江夏・山内・佐藤道夫と懐かしい名前がパネル展示で続く。また、リニューアル記念には、56名の支援者名も小さなプレートに飾られているはずだ。愚生の名前には「思春期を南海と共に」と添えた文字が刻んであるはずだ。何時か機会があれば、死ぬまでに一度は南海記念館に行ってみようと思う。

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