日経平均株価が3万円台に上昇
日経平均株価が約30年半ぶりに3万円台に上昇した。銘柄も入れ替わっているから、現在の株価と当時を単純には比較はできない。30年前と言うとバブル崩壊の兆しが見えてきた1991年で、愚生がM市に越した翌年だ。ブラックマンディのバブル崩壊から、株価が少し下落して2年目に入っていた。バブル崩壊を1991年からと見る向きもあるが、株式市場では1990年の年初からが下げ相場が始まった。不動産価格は、株価に1年ほど遅れて下がり始めた。1989年に、東京都では土地取引に自治体の認可が必要となり、不動産業者は一戸建てからマンションころがしに走った。当時、日本の株式市場は「世界第2位の大きな市場」だったが、今では時価総額で世界の1割に満たぬローカル市場に落ちている。当時を騒がせたのは巨人の桑田真澄の破産、その後に続く江川卓の破綻などだ。不動産投資で節税対策を行っていたプロ野球選手も、税制改革で土地購入の金利分が経費と認められなくなった。さらに、日銀の愚策「総量規制」で、不動産会社に貸し付けられたお金が引き上げられた。その結果、多くの不動産会社が倒産し、不動産価格は暴落した。そして、資金を提供していた銀行まで貸付金の回収ができなく破綻した。女優の真野あずさが杉並に土地を買って「借金は女の甲斐性」などと言っていた。また、「借金も資産のうち」という言い方も流行った。その後、麻布自動車の株式買い占めや拓銀や山一證券、マルコー、ダイカンホームの破産など、1991年以降に矢継ぎ早に起きた。愚生にとって、人生において土地バブル崩壊は大きな岐路だった。運が良いことに、不動産業者のマンションころがしで愚生のマンションも、一年で△50%も上昇した。そのため、土地規制で価格が抑えられていた中古戸建に転居した。また、借金を減らすために、手持ちのリゾートマンション(ホテル)や持ち株をすべて売却した。その結果、不動産市況の暴落で土地価格は下がったが、バブル崩壊前に売却した物件の利益で相殺したため実損は少なかった。バブルで多くの人は、その後の人生を狂わされた。そういえば、大学生時代に起きたオイルショックも大変だった。今は就職氷河期という言葉は聞かない。しかし、オイルショック後の就職は、ほとんどの会社が倒産の危機で新卒の採用など少なかった。唯一、景気が比較的によかったのは情報産業だった。今から思いだせば、愚生の人生は点と線の間を運よく歩いてきた。自分には、ツキがあったようだ。しかし、同時期を歩んできた知人の中には、インフレ期待で不動産を持ち続けた結果、借金の逆資産効果で今も喘いでいる。雨後の筍のように建った賃貸アパートも、数年後には越後湯沢のリゾートマンションと同じ運命ではないだろうか。
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