« 終活の一環として | トップページ | 小津安二郎の「秋日和」 »

2021年5月 4日 (火)

老後のシルバーライフを盆栽でも

Dsc00086
昨日の続きになるが、ヤフオクに出品した黒松3鉢と皐月盆栽が完売した。捨てる神あれば拾う神ありだ。商品欄に「長年育てていた盆栽です。事情があって手放すのですが、捨てるのが可哀そうなので出品しました。盆栽は良品とはいえませんので、初心者の練習用くらいのつもりで購入してください。」という説明文をつけた。商品説明がよかったのだろうか。それとも、買い手は事情という項目を深刻に考えて同情してくれたのだろうか。いずれにしても、数時間も経ずに売れてしまった。老後のシルバーライフを盆栽でもやりながら過ごそうと考える人もいるのだろう。売り払った盆栽も20年近く前は小さな木だった。いつのまにか少しずつ大きくなった。植物も生き物だから生存競争は厳しい。愚生宅の猫の額くらいの庭でも、太陽の恵みを独り占めにしようと木は育つ。育ち過ぎて他を覆い隠すため伐採すると、隠れていた木がすくすく伸びる。その繰り返しで、しまいには背が高くなるような樹木は全て伐採してしまった。今は我を張らないアツモリソウやエビネラン、バラ、牡丹、芍薬、梅、柊、南天、コデマリ、つつじ、椿などが残っている。日本では絶滅品種のアツモリソウの地植えは不可能だと言われている。しかしながら東京郊外の愚生宅の裏庭では、十数年も自生している。エビネランやガンセキランも、特別に手は加えていないのに繁殖している。裏庭というより路地は、風通しがよく朝を除けば日陰だからだろうか。不思議だと思いながらも、この環境に感謝している。歳を重ねたため、金銭的なものや願望という物が少なくなった。そして、親離れした子供たちより身近にいるスムチのロイ君の方が愛おしい。老後はマンションに移ろうかと思うが、ペット不可という物件が多いので困る。由緒正しい血統の子犬だから、その辺の捨て猫と味噌も糞もいっしょくたにされるのは心外だ。

|

« 終活の一環として | トップページ | 小津安二郎の「秋日和」 »

ペット」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 終活の一環として | トップページ | 小津安二郎の「秋日和」 »