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2021年5月31日 (月)

精神の自立は経済の独立から

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早期退職の募集は、コロナ禍でなくとも珍しくはない。旅行会社などは大規模な人員削減を発表するなど、多くの業界でリストラが加速している。しかし、富士通やNECといった大手ITメーカーでは、これまでも管理職や高齢者には日常茶飯事のできごとだった。愚生もリストラが当たり前の世界に住んでいたため、年老いてまで会社にしがみ付く気はなかった。「勤務先が早期退職を募集したら」というテーマで、「応じるべきなのか。それとも会社にとどまるべきか」という記事があった。その中では、早期退職に応募した事例を紹介していた。失敗事例として、大手電機メーカーA社で営業部門の課長をしていた例だ。早期退職の募集に応募して退職をした。A社では54歳で役職定年が設定されており、それまでに部長に上がっていなければ、平社員に降格して65歳の定年まで働く仕組みだ。実際、富士通などは、このような制度があっても、65歳まで勤務することは少ない。管理職であれば、加算金を貰って辞める人がほとんどだ。希に相当な役職だった人が、本部長付きなどで居残っている例はある。現役時の威勢の良い発言に引き替え、侮蔑の眼で見られることを耐え忍ぶしかない。彼等の晩節を汚す生きざまには、美学を持ち合わせていないのかと同情した。記事の例では、A社が45歳以上を対象に早期退職を募集したとき、ITコンサルティング会社への転職を考えた。息子はすでに就職が決まっていたことや、退職金で住宅ローンをほぼ完済できる。彼は、A社で小売業のソリューション営業で数多くの実績を残してきた。そのため転職市場での評価は高く、転職エージェントに登録したところ、すぐに数社を紹介された。この中から、ITコンサルティング会社・B社に転職したという。しかし、B社で営業担当として、新規開拓を任された(肩書は営業部長)。製品力もブランド力もあるA社と違って、B社では見込みクライアントと商談のアポを取るだけでも一苦労だった。A社時代のある取引先にアプローチしたところ、「もう連絡してこないでください」と冷たくあしらわれる。さらにA社時代の他の取引先や学生時代の知り合いなど幅広くアプローチしましたが、古巣のA社からB社に、顧客情報の無断使用で、法的措置を取るという警告文書まできた。年俸は、1年目は保証されていたが、2年目は一気に4割減。その後、露骨に退職勧奨を受けるようになったという。しかし、愚生に言わせれば、「石にかじりついても、今の会社にとどまれ」などという行為は、自分の人生を惨めにする。昨今、大企業だと言っても明るい未来が約束されているわけではない。東芝やシャープ、三洋電機のように、大手企業でもあっさり破綻するから未来のことはわからない。以前は、早期退職に応募するというのは危険な賭けだった。しかし今は、応募せずに泥船に乗り続けるというのも、また危険だ。愚生の友人は、子会社に出向中に会社が清算されたが、彼は退職せずに本社に戻った。その結果、一年毎に協力社員として他社に出された。毎年、職場が変わるため精神的にずいぶん追い込まれたようだ。サラリーマンという職業は、資本家ではないから事業リスクはゼロだ。そんなリスクのない立場で、高給を貰うなどという考えは虫が良すぎる。退職するなら、人に雇われるような仕事を選ぶなと言いたい。自身で起業や投資するには、当たり前だがリスクをともなう。なぜなら、いくら一生懸命に努力したところで、事業が赤字なら見返りはない。そう考えれば、固定費はできるだけ持たないようにするしかない。一番安いのは、自分の頭をフル回転で使うことだ。今から思えば、F社時代もそうだった。いつも、他の赤字部署を食わしてやっていると自負していた。会社を辞めてからは、自分の家族だけを食わせればよい。子供たちも去った今、カミさんと可愛いスムチのロイ君だけだ。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という格言がある。ここ10年以上、多くの失敗を繰り返しながらも、何とか経験を積んできた。高齢者と呼ばれるようになったが、何とか生きる糧を得たようだ。昔読んだ邱永漢氏の本の中に「精神の自立は経済の独立から」という言葉があったような気がする。その言葉に惚れて、土地バブル期にワンルームマンション投資や湯沢のリゾートホテル投資をした頃が懐かしい。

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