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2021年5月 5日 (水)

小津安二郎の「秋日和」

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 愚生のゴールデンウイークといっても、サラリーマン時代と違いありがたみはない。そうかといって時間に拘束された時代が懐かしいとは思わない。その当時は精一杯生きていた気がする。しかし、今から思えば、無駄なことを色々気にしていたような気もする。年老いた今から思えば、つまらないことに拘っていたと思う。高齢者と呼ばれる中で、事情があるのだろうか、今でもサラリーマンをしている学友がいる。彼は名刺の肩書に拘って、いろいろ会社の説明をする。しかし、愚生にとって名刺の肩書などはインク代だけだと思っている。米国流にいえば、その人の年収が勤め人を量る価値だ。時間があるシルバーライフ時代まで、人に使われていたのでは息抜きする時間もないだろう。人は生きるために自分に合った価値観を作り出す。そして、自分を納得させる生き抜くモチベーションを保つ。彼の意識の中にまで入り込んだことはないが、学生時代はもっと闊達な奴だったとの思いがある。そして、安アパートで将来や女性のことを熱く語ったことを思い出す。古い映画だが、小津安二郎の「秋日和」という作品がある。亡くなった友人の七回忌、末亡人の妻・秋子は相変らず美しかった。娘のアヤ子も美しく育ち、すでに婚期を迎えていた。学友の三人は、アヤ子にいいお婿さんを探そうと、ついお節介心を起すが話は立ち消えになった。一方、亡くなった友人の妻は親子二人でアパートにつつましく暮している。そして、その妻の再婚という話しになった。候補者は三人の中の、やもめの平山という学友だった。平山もまんざらではない。しかし、秋子は娘に自分がこれから先も亡き夫とともに生きることを語ったという筋書きだ。こういう映画を見ると、愚生の学生時代を思い出す。先の友人を見れば、大きく変わった部分と全く変らないものもある。そして、人の一生とは何だったのかと自問したくなる。振り返れば、愚生の人生も辛かった日々はあったが、日の当たる場もあったから「良い」としよう。身の丈を考えれば、良かったと褒めてやりたい。小津安二郎監督の映画は独特の匂いがする。そのころの銀幕のスター、原節子や司葉子、笠智衆、佐分利信などが懐かしい。愚生の母は、佐分利信のことを好きだった。そして、中学生時代の数学の先生は、司葉子のファンだったことを思い出す。

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