科学者の見識とは無関係な発言
愚生は、尾身さんという人物が理解できない。感染症の専門家である上氏らからは、尾身さんは医師であって専門家ではないと厳しい批判がある。確かに、尾身さんという人は地域医療に携わると言いながら、自治医大に入学した。その後、10年ほどして厚労省の医系技官になった。医師の仕事が向かなかったのだろうか官僚の世界で生きることにしたらしい。愚生などと大学時代が重なるため、当時の医科大の事情はよく知っている。各県に一校ずつ医学部が新設されたため、地方医療を強いられる自治医科大学の人気はなかった。医師の子弟は、ほとんど行かない大学だった。ところで、尾身さんは、無観客が望ましいと言いながら、観客を入れる場合には、現在の大規模イベントの基準よりも厳しく人数制限をする。そして、観客は開催地の人に限ることを求めた。しかし、この言い回しはおかしいだろう。無観客が望ましいと言いながら、観客を入れた場合に言及している。愚生が言いたいのは、尾身さんの提言とやらは、観客をどちらにしろち言っているのだろうか。いずれにしても、科学的な根拠を持って、論理的に説明して頂きたい。尾身さんの面構えを散見すると、この人はいったいどうゆう人生を送ってきたのだろうかと穿った目で見たくなる。72歳にまでなれば、顔に人生の足跡が見えてよいはずだ。彼のネズミ顔からは、卑屈さと狡猾さしか感じ取れない。緊急事態宣言中にもかかわらず、首都圏では既に人流が増加傾向だ。ワクチン接種が順調に進んだとしても、7月から8月にかけて感染者および重症者の再増加がみられだろう。尾身さんの情緒的な発言は、医師というか科学者という属性からかけ離れている。こんな人物に日本の感染症対策を任した責任は大きい。責任を問われるのは菅首相だろうが、一番悪い奴は政治家の提灯持ちをして、最期にお茶を濁した尾身さんだろう。彼がいなければ、もう少しましな人物が新型コロナの撲滅の旗を振っていただろう。余計なことだが、感染症対策の科学的根拠も言わずに、「選手は、五輪という一生に一度あるかどうかということに心身を集中して努力していた。その人たちの思いを、一市民としてかなえられればいいな、という思いはかなり強くわれわれにもあった」と、求められている科学者の見識とは無関係な発言をする。呆れてものも言えない。いったい菅義偉首相は、新型コロナウイルスの感染状況がどの程度なら開催するという基準なのだろうか。彼は馬鹿の一つ覚えの「安全・安心な大会を実現する」と繰り返すだけだ。国民の命が危険にさらされる可能性が指摘される状況でなぜやるのか、開催を決めた経緯については疑問がつきまとう。
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