群れ社会で生きるすべ
昨日は、愚生宅にいるスムチの10ヶ月の誕生日だった。すべて家の中にいて、老夫婦との暮らしだ。また、散歩と言っても愚生が横抱きの背負子でするため、本人は歩くことはしない。愚生にとっては、3㎏くらいの負荷を持って2㎞近く歩くことになるので、ほどよい運動だ。そういうわけだから、本人は犬と接触もしないため老夫婦の子供だと思っているようだ。年端もいかない子犬だが、愚生たちには結構な気を使っている。犬と言えば、「ワンワン」となく声が普通だ。しかし、愚生宅のスムチは、色々な泣き方で自分の意志を伝えようとする。しかし、生れは犬だから基本的には愛想は良い。「おいで」と呼ばれると何かに夢中であっても、少し遅れても必ずご挨拶に来る。歳を重ねた人でも、著しく他人への配慮を欠いた人物を見ると、彼の生きざまを垣間見るような気がする。サラリーマンなら、自分の評価と周りの評価のギャップに憤る人生だったかもしれない。そして、なぜ実務能力は秀でているのに組織の中で昇進できないのかと悩む。また、学生時代から時間にいい加減だった友人なども同様だろう。宿泊を伴わないコンパや送別会なら、当日の飛び込み参加でも問題はない。しかし、宿泊を伴う合宿などはキャンセル料が発生する。そういうこともあって、行動に制約を負わされるような活動には参加することはなかった。一人で生きるには問題はないが、組織として活動する場合は大きな問題を抱える。何故なら、彼が組織の上に立てば部下が右往左往する。自分の狭量な価値観などは、ほとんど自身に都合の良いものだ。自分には言い訳して取り繕えるが、他人は彼の言動からしか評価しない。例えそれが本心でなくとも、他人はそう評価してしまう。そういう友人の記憶を辿ると、愚生宅の子犬は誰が教えもしないのに身についているので賢いと感心させられる。群れ社会で生きるすべを、生まれながらに備わっている。
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