医系技官の尾身さんは門外漢
委託したシステム開発が頓挫したとして、野村ホールディングスと野村証券が日本IBMを相手取って損害賠償を求めた。2019年3月の一審東京地裁判決では一部の請求を認め、日本IBMに約16億円の支払いを命じた。しかし、2021年4月21日の控訴審判決で東京高裁は一審判決を変更し、野村側の請求を棄却した。なぜ一審判決が覆され、野村が逆転敗訴となったのだろうか。長年、コンピュータシステムに関わってきた愚生には、分かるような気がする。米国IBMに、日本流の無理難題な要求を押し付けても無理だということだ。パッケージソフトに個別仕様を要求するなど、どだい無理な話だ。東京高裁の控訴審判決は野村側に責任があるとし、逆転敗訴の判決が下された。IBMに無理を求めるなら、その要求を聞くような国産メーカーに発注すべきだった。判決の内容では、当時の投資顧問事業部次長だったA氏が問題だったという。A氏は、パッケージソフトに合わせて業務を最適化するという会社の方針に反して、自身の現行業務を維持することに固執した。そのため、プロジェクト途中で追加要件が多発した。東京高裁は判決文でA氏について「自分の庭先担当業務だけを考えている」と判定したようだ。断続的に仕様変更要求を多発するため、その結果、目標としていた2013年1月の稼働開始に間に合わなくなった。A氏は投資顧問事業部で複雑な業務を担い、新システムの要件を洗い出すうえで重要な立場にあったという。組織図では、業務アプリケーション部門の責任だ。野村証券が海外製パッケージソフトをカスタマイズして導入することを決定したのは、グローバル化での基盤共通化とコスト削減だろう。しかし、そうすれば設計フェーズの開始直後から、過去の業務アプリケーションとの齟齬が発生して追加要件が多数発生するだろう。過去の業務アプリケーションとは、野村の業務形態ノウハウをCOBOLという言語で書かれたソフトだろう。当然、パッケージソフトを導入すれば、野村独自の業務アプリケーションとの齟齬のため多くなる。その部分を業務アプリケーション部門のSEが新規に変更しなければならない。それを変更したくないなら、パッケージソフトなど導入すべきではない。社のトップは門外漢だから、ミッションクリティカル部分など知る由もない。その部分はOSやパッケージソフトにもないことは多い。愚生らは、旧の業務アプリケーションと完全互換でなければ売れないことを知っている。愚生らが開発した機器は、IAサーバーならWindows、UNIXならsolaris(ソラリス)などに補完するソフトウェアを追加してSE工数を発生しない形で提供した。システムや業務アプリケーションの変更を伴えば完全互換でない。それの変更のための設計・開発やテストフェーズは膨大になる。そのため、パッケージソフトの導入のために、従来の業務アプリケーションの大きな変更など、よくよく考えなければ怖くてできない。野村のA氏の発言はもっともなものだったのろうが、これではパッケージソフトの導入に反対ということだ。今回の裁判は、名門企業同士の泥沼の争いであり、逆転判決が言い渡されたことで世間の注目を集めた。ここ数年は、裁判所がプロジェクトの実態を精査したうえで、ユーザー企業側の責任を厳しく問う判決を下すケースが増えている。また、病院情報管理システムの開発が失敗した責任を巡り、旭川医科大学とNTT東日本が争った裁判でも、2017年の控訴審判決でユーザー企業側の旭川医科大学に責任があるとの判決が下った。いったん仕様を凍結した後も追加開発を要求したユーザー企業側の姿勢が問われた。しかし、現実には古いシステムなど、誰がどう作ったものか、仕様も解らないアプリケーションも多いだろう。要求側も無理を言っているというより、言わざる負えない事情がある。愚生には、このような不幸は初めから予想されたものだ。野村証券トップが門外漢だったと同情し、IBMと野村双方に気の毒としか言いようがない。新型コロナの感染対策も医系技官の尾身さんは門外漢と批判を浴びる。しかし、こちらは人命がかかるため、感染対策が間違ったでは済まされない。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ここのところ気分がよい(2023.03.21)
- 実物資産が安心だ(2023.03.19)
- 蓮舫を追放すべきだ。(2023.03.18)
- 「世の中間違っとるね」(2023.03.17)
- 次は金融大手クレディ・スイス(CS)の破綻(2023.03.16)
コメント