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2021年10月24日 (日)

富の偏重は日本でも同様

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愚生は、不動産を資産だとは思っていない。1980年代後半の土地バブルを経験したことが原因だ。田舎から上京した愚生にとって、京浜地区の住宅取得は容易ではなかった。土地の安い田舎では、額に汗して真面目に働けば家は買える。しかし、土地バブル期の値上がりは異常だった。東京23区の土地値で、米国全土の土地が買えるというから異常価格だった。都内の土地価格は、みるみる上昇して数年で5倍にもなった。当時、愚生は田園都市線沿線のマンションに住んでいたが、近くに土地50坪の建売が2億五千万円で売りだされた。こんな高い住宅を誰が買うのかと思っていたが数日で完売した。愚生には縁のない地域に来てしまったと、買える人達を羨んだ。都市化で沿線の土地成金は潤ったが、田舎からの上京者には高根の花だった。そういうこともあって、東京育ちの息子たちには少しは楽をさせてやりたいとの思いがある。多少の貯えができた今、マンションや必要がなくなった自宅を結婚祝いに贈与しようと思う。息子たちはパラサイトというわけではないが、大学は宅通で、大学卒業後も自宅通勤していた。学生のアパート暮らしの経験もないため、飢える心配などしてこなかったのだろう。将来、核家族化で自分の住む家が必要だという意識も低かった。親元に住むため、不安がなく緊張感はなかったと言えばそれまでだ。車購入や旅行で散財して、家の購入準備などしていないようだ。何かあれば、親が近くにいるから助けて貰えるというくらいの軽い気持ちなのだろう。愚生の会社の同僚でも、東京育ちの人たちは親から何らかの資産を貰い住宅に悩まされる人は少なかった。環境がそうさせたということが一番の理由だろう。愚生の友人でも、小金が溜まっても未だに松茸やウナギは買わないという人もいる。愚生が行く激安スーパーで、時間給の店員が高級品を買うとは思えない。知り合いの店員は、亭主の稼ぎが悪いから働くというのも全くの嘘でもないようだ。多くの貧困とは言えないが生活が苦しい層と一部の富裕層という富の偏重は日本でも同様だ。

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