愚生の誕生日に思う
今日は愚生の誕生日だ。小さい頃は、誕生日といえば何か買ってもらった記憶がある。愚生は戦後生まれといっても昭和二十年代だ。まだ終戦から数年しかたっていない頃に生まれた。当時はテレビや電気冷蔵庫、洗濯機、クーラー、電話、内風呂も一般家庭になかった。愚生の親は他家にくらべて多少裕福だったせいで、誕生日には好物だった昆布餅を買って貰った。愚生の育った富山という地域は専業の餅屋店が多かった。そして、昆布が取れるわけではないが、その消費量は日本でトップを争う県だ。青臭い思い出だが、そのころの母が元気だった姿が目に浮かぶ。今月、信州にある介護施設に会いに行ってきたが、昭和の化石といった具合で表情がなかった。近所に住む愚兄がほとんど母の面会に行っていないと聞くと腹立たしかった。戦前教育を受けた母は、天邪鬼な長男を可愛がって庇うことが多かった。それほど愛してくれた母に酷い扱いをするとは呆れる。愚兄の愚行は氷山の一角だろうから、方々でトラブルをおこしているだろう。ただ、母の顔が八月よりいくぶん柔和になっていたことが嬉しかった。人は貧すれば鈍するというが、愚兄の場合は邪悪な性格だからそれが原因とはいえない。裕福な家庭のお嬢さんだった母を見ていると、今の状況が哀れな気もする。しかし、自業自得といいたくなるような母の自分勝手な性格にも起因する。他人の批判ばかりしていると、愚生も明日は我が身ということもある。息子達が生活に追われ、余裕がなくなれば配慮もなくなるかもしれない。こういう心配をするようになると、老いるということは楽しいことではないようだ。
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