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2022年3月21日 (月)

身の丈に合わないことはするものではない

Diayebuyae8jty
昨日はお袋の告別式だった。喪主から招待がないので葬式に出られないと腹をくくっていた。そう覚悟を決めていたが、葬式直前の前日になって葬式の知らせが来た。愚生が出席しないと思ったのか、愚兄はすいぶんと早口で葬式の日時をまくし立てた。一切準備をしていなかったが、誘ったのに断ったと触れ回れたのではたまらない。即座に、出席する旨を伝えた。そして、正確な場所や時間を書き留めた。新幹線の予約やホテルの手配、息子への伝達など慌ただしかった。1日前から判っていたものを、なぜ直前になって言うのかと訝しがった。いずれにせよ、愚兄とは関係なく母には感謝しているため、葬儀に出られることは嬉しかった。愚兄も貴乃花と同様、勝手な論理で我儘し放題だ。社会性が身につかない振る舞いを見るにつけ、サラリーマン人生は楽ではなかった推測する。前日に新玉川温泉から帰ったばかりなのに、また長野の温泉に泊まることになった。ただ、今度は長男も一緒のため新鮮な気分だ。チワワのロイ君もペットホテルに再度預けたため気の毒だった。そして、翌日は朝早くからJRに行って大人の休日を使った割引券を購入した。葬式に出ることやお骨拾いには慣れていたが、母のこととなると格別な思いがした。母には生まれてからこの方、世話にもなったが迷惑もかけられた。しかし、お袋の勝手な言い分で閉口したこともあったが、愚生自身にとってはどれも楽しい思い出だ。もう少し愚兄が母の気持ちを斟酌していればと思うことが多かった。気丈夫な母だったが、根は寂しがり屋だった。兄の母への愚行を見るにつけ、見返りの因果応報を心配した。10数年ぶりに兄に会ったが、生気のない様には驚かされた。アパート経営が上手くいかず、金回りが悪そうだった。外見にもそれがはっきりわかる有様だった。今回で愚兄に会うのも最期だろうと思ったので、余計な会話はいっさいしなかった。母の死後、兄と口論をしても意味はない。今後、付き合わなければよいと見切っていた。多少の母の遺品を貰って帰ってきた。明日は我が身だと思っていたが、その前に兄夫婦が早いような気がした。やはり、身の丈に合わないことはするものではないと改めて思った。

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