« 投資は自己責任 | トップページ | 日本も抑止力として核武装すべきだ »

2022年3月29日 (火)

阿弥陀如来

522_
お袋の形見となる物が一切ないので、記念にと柘植木彫りの置物を買った。浄土真宗ゆかりの「勢至菩薩 ・ 阿弥陀如来 ・ 観音菩薩」を柘植の木に彫ってある。高さ10cm×巾13cm×奥行5.5cmとコンパクトなため、愚生の部室の出窓に置いた。支那で作られたもので真新しい木彫りだ。ずいぶんと手の込んだものが安く買えると驚かされる。以前、イタリアで製作されたマリア像はもっと高額だった。チベットや新疆ウイグル自治区の人たちが作業場で強制的に彫らせているのかと思った。実家にはたくさんの置物があったが、兄が二束三文で処分したのだろうか。葬式で兄に会う機会はあっが、今後会うことはないと思い余計なことは一切口にしなかった。兄弟は他人の始まりと言うが、愚生宅は当にそれだろう。しかし、十数年ぶりに会った兄嫁も愚生よりは10歳も年上に見えるくらい老け込んでいた。兄も左足が不自由そうに歩いていた。何がそうさせたのかは知らないが苦労をしているようだ。多少気の毒だとは思ったが、数多く不快な思いをさせられたこともあって、同情する気にはなれなかった。兄弟に限らず、親が死ぬといとこ同士でも付き合いはなくなる。これは愚生だけでもないだろう。ところで、終活での引っ越し祝いの温泉旅行は、東北地方の地震でとんだことになった。そして、やっと秋田から帰ったと思ったら、お袋が逝って長野までとんぼ返りした。ロシアのウクライナ侵略も含めて、今年は年初から忙しい年となった。プーチンという暴君のために、家を焼かれ殺された人々には同情する。ただ、ウクライナで起きた市民への無差攻撃は、チェチェンやジョージア、シリアでも起きていたというから人種によって軽重があるのはいかがなものかと思いたくなる。愚生はつくづくロシアや支那で生れなくてよかったと思う。大正生れの父がチャンコロやロ助と言って蔑んでいたことが少し分かる気がする。

|

« 投資は自己責任 | トップページ | 日本も抑止力として核武装すべきだ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 投資は自己責任 | トップページ | 日本も抑止力として核武装すべきだ »