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2022年4月12日 (火)

終活とはいったいどういうもの

1kara01
両親が映っている写真額の奥に、木彫りの阿弥陀如来像を置いている。愚生自身はカトリック教会に属しているので仏教には縁がない。しかし、愚生の家は代々浄土真宗大谷派(東別院)だったため、お袋の死後に阿弥陀仏像を購入した。愚生が小さい頃、曾祖母が毎朝経を唱えていた。曾祖母が逝った後は、お袋が同様に唱えていたようだ。曾祖母の宗教観はよく知らないが、お袋の場合は先祖崇拝経とでもいう彼女の価値観からの信仰だった。要するに経は唱えてはいても、親鸞聖人を信じているわけではなかった。両親とも戦前教育を受けたため、先祖からの身代は兄が受け継いだ。ただ、詳しくは知らないが兄は投資に失敗したようで、周りの人に金がないという話しをしていたようだ。家族葬に参列すると、浄土真宗本願寺派の坊さんがいないということで「曹洞宗」の坊主に経を唱えさせていた。確かに兄が住む地域は、曹洞宗・真言宗の坊さんが多い地域だった。愚生家の先祖は金沢から移った時に、近くに曹洞宗の寺がないため、浄土真宗に改宗したと聞いている。まあ信仰はないのだろうから、なんでも構わないと割り切っているようだ。また、戒名も価格が一番安いと思われるものだった。墓の下からお袋は怒っていると思うが死人に口なしだ。金に苦労しているから、無駄な金は使いたくないのだろう。坊さんも火葬場まできて経を読むようなことはしなかったから、葬式費用を安く上げたかったのだろう。喪主でもない愚生が口を出すことはできないので、静かにお袋の最期を見送った。歳を重ねてくると、次は自分の番だと思うようになる。そう思うと、よろずのことが意味なく思え、人生観も変ってくるような気がする。他人のことなら死んだらおしまいだと思っていた。しかし、自分がそれに近づいてくると改めて「終活とはいったいどういうものなのか」と考えたくなる。

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