コロナ禍で引きこもっていると
昨日は、4月1日ということで本年度の過ごし方を考えた。昨年度は終活の手始めとしてマンションへ引っ越した。そして、再スタートの記念としてカミさんとのペアリングを買った。また、一段落したことで新玉川温泉にも行くことができた。愚生が田舎から上京した頃を思い出す。京浜地区の物価というか、土地が高額なことに驚かされた。愚生は北陸地方の豪雪地帯に育った。そこは持ち家率が日本一という土地柄だ。「家一軒をもって男は一人前」といわれる。そのくらいに持ち家に拘る地域だった。ただ、愚生の田舎のように土地が安ければ、道楽もせず額に汗して働けば家を持つことは難しいことではない。一方、京浜地区は大企業も多く給与水準も高い。しかし、地方からの上京者で都市化が激しかった。最近は多少傾向が変わったと言え、都会で住む家を持つには住宅ローンを使うのは当たり前だ。愚生の学生時代の友人でも、還暦過ぎて田舎に帰らずに、都会に住み着いた面々は住宅ローンを使った。退職前に完済は良いほうで、退職金で残債を清算という人もいる。また、70歳近くになっても夫婦共働きという人もいるから人それぞれだ。愚生宅の引っ越しで、梱包や開梱作業をした人は、どうみても65歳は超えていた。きびきびとした立ち振る舞いから、現役時代はそれなりのキャリアを持っていたと思われた。老齢まで働くのは、それぞれ事情があるのかと思案する。愚生の自己満足だが、子供たちに結婚祝いに住む場所を贈れたのは、自分が苦労したことがトラウマになっている。彼らがある程度余裕をもって人生を生きられたらという親心で、見返りなど求めていない。親が子供に、「何がしを死んだらやる。これはお前のものだ。」という話しはよく聞く。愚生の親父も小さい頃からよく言っていた。愚生は腹の中で、死んでからではなく今欲しいと思った。しかし、親がお金をどう使おうが、自分の稼いだ金だろうから、口出しなどはできないと諦めていた。それと田舎に幾ばくかの土地があっても、帰る気がない愚生には無価値なものだった。そういうことが頭にあっての考えだ。もう子供たちへの配慮はいらないだろうから、残ったお金は自分のために使おうと決めている。旅行は方々に行ってきたが、まだまだ行き足りない。コロナ禍で引きこもっていると、足腰が立たなくなり、いきそびれる気がする。愚生の母は、新玉川温泉から帰ったその日に逝った。早く死にたいという口癖とは裏腹に、母は生きたいという強い意志があった。ただ、天寿という歳まで生きたのだから大往生だと思う。世話になった義母やその親戚の人たちにも、生きているうちに会わなければ後悔すると思うようになった。また、田舎に兄が納骨したであろう母の墓参りもしたい。そう思いながら、カレンダーを見ると7月くらいまで埋まってしまった。
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