六月の和名は「水無月」だ
五月晴れという季節も終わりに近づいた。六月の和名は「水無月」だ。古典の授業で覚えさせられたが、記憶力の悪い愚生には辛い課目だった。ここに使われる無は「の」意味だそうで、「水無月」とは「水の月」だそうだ。そういえば、6月11日頃は暦の上で入梅だから、水を必要とする田植えの時期の目安なのだろう。今日は朝から、温暖な夏日で8Fに住んでいる愚生の部室は風が通って心地よい。母は愚生の歳の頃から「いつ死ぬのか待っているようなものだ。」と愚痴を言いながら天寿を全うした。愚生もゴンドラの唄にあるように、「命短し」を痛感する歳になった。残された日々を大切に生きなければと自戒している。来週はカミさんの40年ぶりの友人が拙宅に来るという。その次週は、何回もコロナ禍でキャンセルした「屋久島」旅行だ。父の日には長男が来るというから、久しぶりの来客や旅行で刺激がある。ところで、勤め人を早期退職して以来、式服以外のスーツは着たことがなかった。それくらい社会と断絶した日々を過ごしてきた。人生を振り返れば、愚生にとって入社や退職は大きなイベントだった。家族持ちだったせいで、流行歌「ラッパ節」の歌詞「親亀の背中に子亀を乗せて そのまた背中に孫亀乗せて そのまた背中に曾孫を乗せて 親亀こけたら皆こけた」という人生だった。当に自転車操業の生活だった。そのせいか、家族を養うことが頭にあったから、会社に行きたくないなどと思ったことは少なかった。今から思うと、早期退職をして組織や会社に頼らない道を選んだことで、年老いてから勤め先を探す必要はない。愚生の友人の中に、古希近くになっても制服を着て保安員をしている。本人は気に入っているようで、いつ死ぬかなど頭にない様だ。
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