人生で一番大切なこと
日々を過ごしていると、逝った母の言葉を思い出す。愚生の母は、夫と死別してから34年間近く、ひとり身で過ごした。その間、子供たちは県外に就職して田舎に帰ることはなかった。長い間の一人くらしを経て、介護施設に入居した。田舎に戻ることを前提とした遺産相続だったはずだが、愚兄は約束を果たさないまま帰らなかった。いざ自分の家族のことを思うと母の優先順位は二の次になってしまったようだ。母は戦前教育を受けたひとだから、戸主制度が頭に叩き込まれている。そういう訳で、いつも長男を重んじ、次男だった愚生は軽んじられた。不公平と言うが、時代がそうなのだからと愚生自身も納得していた。その分、親からの干渉もなく自由に生きることができた。愚生は損得の総和は、俯瞰すればプラスマイナスゼロだと思っている。世の中、そんなに一方的に上手くいくはずはないと思っているからだ。母は晩年、愚生が訪問すると「ここで死ぬのを待っているようなものだ」と愚痴をいった。そして、早く逝きたいようなことまで言っていた。本音は、年老いてから知り合いや世話になった人の訪問者が少ないことが寂しかったのだろう。特に、愚兄がほとんど訪問しなかったことに不満を持っていたようだ。ただ、ひとそれぞれ事情があるから、死にゆく母を最優先とはいかなかったのだろう。そういうこともあって、愚生は約束を守らない虚言壁の多い愚兄には不満を持っている。愚生は母を慰めるのに「大東亜戦争では、生きたくても短い命で散っていった人は多い。長生きするから、周りがいなくて寂しくなるのだ」と少し冷たかった。育ちが良かった母は、小さい頃から苦労せずに生きてきた。そのことで、他人から注目されないことが辛かったのだろう。愚生はカトリックだが、仏教でいう因果応報を信じている。先日、愚生宅を訪れた長男に「善行を重ねて生きることが、人生で大切なことだ。」と話した。カミさんも長男も、馬耳東風と涼しい顔で聞き流していた。自分を棚に上げて言い放つ愚生に、いちいち過去の悪態を指摘したくなかったのだろう。
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