« 会社に委ねた身では難しい | トップページ | 投資はリスク管理が一番大切 »

2022年6月 7日 (火)

韓国の歴史歪曲は常だ

49
愚生は終活の一環としてマンション暮らしを始めた。引っ越し後、いろいろとすることが多かったせいなのだろうか、気が付くともう4ヶ月が経った。この速さで進むなら、棺桶に納まるのもすぐ来るような気がする。幼い頃は、人生は終わりのない長い旅だと思っていた。今から過去を思い出すと、全てが走馬灯のような気もする。しかし、その当時を思い出せば、その都度真剣に悩んで生きてきた。思いだせば、馬鹿なことも数多くしでかしたような気もする。もう活力がなくなった今、当時を偲んで懐かしい思いに耽る。そして、良し悪しはともかく、記憶に刻まれたことを思い返す。その中に離別(イビョル)という韓国の唄がある。愚生がカラオケを歌った最初の曲だ。「離別」(이별)は、韓国の女性歌手パティ・キムが歌った。パティ・キムの夫だった古屋旬の作詞・作曲だ。パティと結婚後、単身ニューヨークに渡った吉屋が、妻への思いを込めて制作したと言われる。金正日の愛唱歌の一つであり、北朝鮮の大衆にも広く知られているというから驚かされる。当時の愚生は、これからのビジネスはアジアだと思い、熱い思いで中国語と韓国語を勉強した。中途半端な姿勢だったが、文法や文化は少し感じ取った。1988年ソウルオリンピックの前年くらいだっただろうか、日韓関係は非常に良かった。朝鮮を統治した朝鮮総督府の建物は1926年の建設時から1996年に解体されるまで、国会議事堂、中央庁、国立中央博物館として使用された。愚生の韓国出張時は、未だ博物館として使用されていた。大理石造りの立派な歴史的建造物だった。台湾総督府の建物が今も国会議事堂として使用されている台湾とは大きな違いだ。つくづく国民性の違いを感じる。朝鮮併合以前の大韓帝国では庶民に対する教育機関がほとんど無かった。そのため、読み書きが出来る者は裕福な一部の両班に限られていた。そうしたなか、朝鮮総督府は朝鮮語教育に力を入れ、朝鮮民衆にハングルを広めたて今の半島文字文化の礎とした。韓国の歴史歪曲は常だが、正しい歴史認識が定着しない限り日韓の溝は埋まらない。

|

« 会社に委ねた身では難しい | トップページ | 投資はリスク管理が一番大切 »

支那・朝鮮」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 会社に委ねた身では難しい | トップページ | 投資はリスク管理が一番大切 »