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2022年6月16日 (木)

人それぞれの人生だから

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昨日は長い間コロナ禍で断念していた屋久島に行ってきた。世界遺産だからと言うわけではないが非常に人気の高い島だ。屋久島は中心部に九州の最高峰宮之浦岳(1936m) をはじめとする高峰が聳える山岳島だ。東シナ海からの湿った風が山肌に当たり年間4,000~10,000mmもの多雨に恵まれている。これは隣の標高280mしかない種子島とは大きな違いだ。そのため、樹齢数千年のヤクスギをはじめとして極めて特殊な森林植生が生息する。一方、農業には適さずに島の周りに小さな集落をつくっている。愚生も少し白谷雲水峡を散歩しただけだったが、シカやサルを見ることができた。ガイドの話では、屋久島ザルやシカは本土の生体よりも小さいという。やはり食べ物が少ないことが原因なのだろうか。人口1万3千に対して、シカやサルはそれぞれ2万匹もいるとのことだった。梅雨入りやコロナ禍ということもあって観光客は少なく、どこにいっても待たされるという事はなかった。この島では平地は少ないため農業といっても傾斜地にみかんを作ることくらいしかできない。そのため漁業と観光しか島民の仕事はないのだろう。屋久島高校卒業生で、島に残る人は僅か10人ほどしかいないという。典型的な過疎地なのだろう。愚生も田舎を捨てた人間だから、島の若者たちの気持ちは分かる。閉塞感のある地縁血縁から抜け出して、新しい生き方をしたいのだろう。そう思って都会に出た者も多いが、将来設計ができず失望して田舎に帰る人もいる。都会に僅かでも居場所を作れれば留まることもできるが、そうでなければ理由を作って田舎に帰るしかない。歯を食いしばって都会に住ついた者からは見れば、彼等は落ちこぼれだ。愚生も同様の価値観だから始末が悪い。一方、啖呵を切って田舎を出てしまうと、消息を絶ち都会の狭間に暮らすしかない。人それぞれの人生だから、何をもってよしとはいえないが・・・。そういう思いを抱きながら、飛行機の窓から離れ去る屋久島をみた。

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